見つけてしまったよ、また。
ランの何かだろうなぁ。
葉の様子からするとコチョウランではない。
まだ黄色いラッピングが施されている。
葉は青々としてまだまだ元気。
ただ花がすべて終わってしまっているだけのことだ。
贈り物としてランを貰ったのだが、花がすべて落ちてしまった。
しかしこのあと、この葉っぱをどのように世話していいのか分からない。
面倒になってしまって、ゴミの日に集積所に出してみた。
・・・と、想像するにそんなところだと思う。
これと同じような光景をたびたび目にして、この花咲ブログでも取り上げてきた。
クリスマスの後のポインセチアも捨てられていたっけ。
なんか寂しいよね。
一応、彼らもまだ生きているのだから。
捨てた人には一抹の罪悪感はあったのだろうか?
それとも全くなかったのだろうか?
この植木鉢を植物として認識しているか、単にモノとして考えているかによるだろうなぁ。
あまり説教っぽい話をする気は毛頭ない。
自分だって、ついこの前はヒマワリを枯らしてしまいそうになったりしたし。
問題の所在は捨てた人にもあるけど、むしろこれを贈った人にあるのカモ、なんて思う。
一生懸命やってもうまく植物を育てられない人は確かにいる。
本人は真面目に頑張っているのだけど、どうしてもうまくいかない。
それはそれでしょうがない。
贈る側としても、贈ったという事実に安心して「やれやれ」と思うのではなくて、贈った先でその鉢がシアワセになれるのか、というところまで配慮できると良いのではないかなぁ、と。
物品というモノではなく、仮にも生命体であるということを考えるべきかと。
ならばいっそ、プリザーブドフラワーとか、切り花とかであれば後腐れがない気がする。
売る側も売りっ放しっていうのではなくて、「受け取られる方は植物好きですか?」とかいろいろ聞いて、太鼓判を押した場合のみギフトとして販売する・・・・
なーんてやったらやり過ぎだろうか?
意に反してややこしいことを書いてしまった。
大意はない。
ただ、ゴミ集積所にあったランの鉢を見てちょっと悲しくなっただけだ。
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