2012年11月30日金曜日

第13日 屋久島にて


今日は朝から雨が降っていた。

風も強く、かなりの荒天といった具合。

繰り返しになるが、屋久杉・ウィルソン株登山が昨日の晴れた日で本当に良かった。
この雨と風のなか、12時間歩くのはかなりの難行だ。

因みに我々を昨日案内してくれたガイドさんは今日も仕事で登ると言っていたので、心配になってしまった。
大変な仕事だ。

我々は朝食をとった後、昨日のガイドの奥様の案内で屋久島の市内(低地)でウィルソンが100年前に撮った写真の場所を探す。

予め屋久島の観光局に資料を渡してお願いしてあったので、効率良く回ることができた。

時間的には効率的であったが、問題は雨。

写真を撮るにもレンズは濡れてしまうし、何よりも肝心の景色が晴れているときとは全く違ってしまう。
山なんか雨で煙って見えなかったりするのだ。

そんな雨風の中、ボスたちはいつものように何度も慎重に立ち位置を決める。

ハーバードのオジサンが加わったので、彼がカメラが濡れないように傘を持ち、もう一人の英国人が100年前の写真を持つ。
そしてボスが鬼気迫るカンジでシャッターを切る。

そんなことを数か所で繰り返した。

傘はさしても横殴りの雨だし、雨合羽以外のところ、すなわちズボンなどはグッショリ濡れた。

ほぼ予定していた「撮影」を終えて、空港前にある屋久島観光局に御挨拶をしに伺った。
今回は色んなご協力をいただきまして有難うございました。

ハーバードのオジサンがちょっと便秘気味なので薬がほしいというのでドラッグストアに寄る。
サッと寄って、サッと買って、サッと帰りたいのに便秘薬ひとつ買うのに
「Oh my god!!」と大声で連発し、姦しいこと女子高生の如しなんである。

ホテルにいったん戻って着替えてから、また皆で性懲りもなく雨の中を出掛けた。

今度はお土産を買いにである。

数件軒を連ねたお土産やさんを総ナメに。

とある屋久杉加工のお店ではボスが「端材で構わないので屋久杉をひとかけら譲ってもらえないか?」というので、店にいたおばさんに聞いてみたらば「そういうことはしていません」と無碍もなく断られてしまった。

「お金を払ってでもダメですか?」
「そういうことはしていないから」

諦めて店を出ようとしたらば、もうひとり店にいたおじさんが出口にいた我々に近づいてきて、ボスの手をそっと握って屋久杉のかけらを渡してきた。
「シッ。内緒だよ。ここにいて、もう一つ持ってきてあげるから。」

恐らくこのお二人はご夫婦で、奥さんがかなり厳しい方なのだろう。

ボスは手に入れたふたつの屋久杉のかけらと同時に忘れがたいエピソードも手に入れてご満悦だった。

お土産やさんの2階の食堂で遅めの昼食をとった。

ボスはコーヒーと飛魚のすり身のフライという変わった組合せ。
僕はかつ丼を頂戴したが、かなりしょっぱかったなぁ。

約2週間ぶりのゆっくりした時間だった気がする。

これまで、最終フェリー、始発電車、始発飛行機、営業時間開始時間のレンタカー借り、営業時間終了間際のレンタカー返却、食堂オープンと同時の朝食などなど、ギリギリ、めいっぱいの行動をしてきたので、とてもホッとした。

夕方に地元のライターの方が訪ねてきて、今回のウィルソン旅のことについて尋ねていった。


それ以外の時間は、皆部屋で各々机に向かって仕事をしていた。

撮った写真を整理したり、記録をつけたり。

この辺りが面白いところで、普段は大丈夫か?と思うようないい加減な場面があっても、目的がしっかりとあって遊びに来ているわけではないので、ここはキチンと抑えているのだ。


ハーバードのオジサンは真面目な顔してiPadで何かをしていたのだが、何かと思ったらトランプゲームだった。
この人は本当によく分からない・・・。

夕方には皆で大浴場にむかい、屋久島最後の夕食。

ホテルで供される夕食は煮物、揚げ物、蒸し物、汁物、焼き物などなど次から次へと出てきて彼らは大喜び。

感心することにほぼ全て完食であります。

その後は出発に向けて荷造りなど。

僕はフロントの方にお願いして有線LANでようやく2日分のブログをアップし、もう一本ビールを飲んで眠った。

さぁ、明日はいよいよ東京に戻ります。

昼過ぎには着いているはずだが、まだやることがとても多く、またしても一波乱、いや二波乱くらいあるのではないかと思われます。

あと一息、頑張ります。

2012年11月29日木曜日

ブログが更新できない理由(わけ)


現在11月29日21:35。

まだ屋久島にいます。
朝からずっと雨が降っております。

屋久杉、ウィルソン株登山が昨日で本当に良かったと思います。
この雨での登山はかなり辛いと思われます。

申し上げていますようにネット環境がなく、ブログもアップできずなんともならないのですが、ホテルのフロントの方にお願いをしてちょっとだけLAN回線を貸してもらいました。

取り急ぎ、書き溜めておいた分をアップします。

明日は屋久島を出発し帰京する予定です。

明日は明日で一波乱ありそうです。

それでは、また。

第12日 屋久島にて



そんなわけで、ネットの繋がらないままの屋久島。

今朝は3時にモーニングコールをしてもらい、皆でゴソゴソ起きて出発の準備を始めた。
今回屋久島では4人で1部屋という構成になっており、英国人2名がベッド、米国人と僕がフトンとなった。

次回このようなことがあれば、彼らの
「タタミマットレスの上にフトンで寝たい」
という言葉は一切信用しないようにしようと思う。

さて、ガイドさんが3:30にホテルで迎えに来てくれて出発となった。

外はまだ真っ暗。

車を走らせること1時間ちょっとでようやく荒川登山口という場所につく。

雪は降っていないもののエラく寒い。
今日の予報は晴れ。
ただ、放射冷却もあって気温がグッと低いのだろう。

最近、登山での事故のニュースもあったので、自分としてはかなり慎重に装備をしたつもりだった。

暗闇の中をヘッドライトをつけて隊列を組んで歩き出す。

因みにヘッドライトをつけているのはガイドさんと僕の2名のみ。

残りの外人3名は、小さなマグライトを手に歩いている。

事前に「今回の屋久島の装備としてヘッドライトが要るよ、寒さ対策、雨対策もね!」と言ってあったのに、カバンから出てきたのは小さなマグライトだった。

昨晩、部屋で皆で装備について確認したときにそんなことが判明して、しかもそれぞれバッテリーが残り僅からしく弱々しい光を放っている。
聞くと予備のバッテリーも持っていないという。

バッテリーを買うといったってここは屋久島。
24時間のコンビニなんかない。

フロントで聞くと、歩いて5~10分のところにスーパーがあるので、そこで手に入るだろう、と。

彼らに説明してものらりくらりで動きが悪いし、結局僕が3人分の予備電池とペットボトルの水4人分を暗闇の中買いにいくことになった。
なんだよー、自分のことは自分でやれよー、とつぶやきながら歩いた。
でもペットボトルの1本は自分のだからしょうがないか、と言い聞かせる。

そんなわけでの屋久島登山の暗闇行。
彼らのマグライトの性能が悪いのか、それも間もなく途中で切れてしまった。

見かねたガイドさんが予備のヘッドライトを一人に貸して、一人は弱々しいマグライト、そして一人は無灯火で歩いた。
最後方から僕のヘッドライトのパワーを最高にして隊列全体を照らすようにしてなんとか暗闇を進んだ。

歩いても気温が低いためか、なかなか身体が暖まらない。
というか、寒い。

休憩したときに、ダウンに着替えた。
すると3人からは、「それはダウンか?オマエはなんて準備が良いんだ」という声があがった。
イヤ、アナタたちの準備が悪いんだと思います。

ボスだって、僕にさんざん言われてやっとニット帽を京都で買ったのだ。
手袋も何度も言ったのに結局買わずに、ズボンのポケットに手を突っ込んで歩いている。
彼が無灯火なのは素手でマグライトを持って歩いているのが寒さで辛くなったからだと思う。

あげくに僕のダウンを見て
「それユニクロでしょ」
なーんて野次を飛ばしてきた。
「違いますっ!」
日本滞在も2週間近くなって奴らも色んな知恵を付けてきている。

我々が登山口から歩き始めたのは5時ちょっと前。
朝一番のバスが着くよりも前なので、僕らが一番乗りのはずだ。

普通に歩けば、ウィルソン株まで3時間半、縄文杉までさらに1時間半、計5時間もあればたどりつけるはずなのだが、さすがに樹木のエキスパートたち。
暗闇でも目を凝らして、イチイチ反応して立ち止まる。

特に夜が明けてからは、視界が効くようになったこともあって立ち止まる頻度も多くなり、その時間も増えていった。

ガイドさんが説明してくれる紅葉のキレイな季節の樹木なんて一切興味を示さず、彼ら独自の基準に沿って珍しい樹木で立ち止まっていた。

彼らが特に食いついていたのは、ヒメシャラとナナカマド。

ヒメシャラは庭木としても良く使われるが、幹の太さも手首くらいかそれよりもちょっと大きいかくらいだが、屋久島のヒメシャラは幹回

りが1メートルを超える立派なものが多い。

うわーっと興奮し、写真を撮る。
その大きさの対比のためにと自分がヒメシャラの横に立ったりして記念写真を何度も撮っていた。

こんなペースで行ったもんだから、普通のペースで行けば5時間くらいで縄文杉にたどり着けるものが、6時間半を超えてしまった。

途中でお弁その1(朝食)とお弁当その2(昼食)をとったが、こんなに冷たいおにぎりは初めてというくらい冷えていたが美味しかったなぁ。


そして最大の目的であるウィルソン株。

ウィルソンが屋久島を訪れたときに、雨に降られてこの切り株の中の洞で雨宿りをしたのが名の由来であるという。

ウィルソンという人物を知らなくても、屋久島のウィルソン株は知っているという人が多いと思う。

ここでいつものように100年前の写真を取り出して慎重に構図を探る。

周りには休憩したり、記念写真を撮る人が多くて、写真にそういう人が写らないようにすることはほぼ不可能である。

その辺を考慮して、ガイドさんは朝一番の出発をしてくれたのに、いろいろと立ち止まっているいるうちに何組も抜かれてしまってこの始末であります。



今回の旅の最終コーナーを回ったあたり、すなわち鹿児島からハーバード大学のオジサン(67歳)が加わったのは申し上げた通りだが、彼の合流によってチームの雰囲気が一変した。

会った初日はフツーのオジサンだと思っていたのだが、実は全然フツーではなかった。

ハーバードの先生ともなるとやはり凡人では務まらないのだろう。
スゴイ変人であったのであります。

とにかく四六時中大声でしゃべり続けている。

こちらが忙しかろうが関係なく、自分の興味中心で一方的に喋り捲る。

ホテルの朝食にも分厚い論文を持ち歩いて、チラチラ読んでいたりする。

風呂上がりで着替えた下着を部屋に放り投げておく。

うまく表現できないが、とにかく自分の興味分野には滅法強いが、全体のバランスを著しく欠いた天才肌といえば良いだろうか。


当初からの英国人2名もかなりのものと思っていたが、ハーバードのオジサンに比べればごくごく真っ当なカンジがする。

このオジサンがとにかく隊列を乱しまくるのだ。

気が付くといない。
振り向くとどこかへ消えているのだ。

どうしているのかと思うと夢中で木の写真を撮ったり、葉っぱをじーっと観察したり、立ち入り禁止の場所にも入りこんでいたりする。

日本語の看板が読めないことは割り引いても、頭の中が自分の興味で一杯一杯になって周りは一切見えなくなるのだろう。

最初の内は皆彼が隊列に戻るのを待っていたが、しまいには彼は勝手についてくるだろうということで気にしないで前進することにした。

それもチーム全体の歩行スピードが遅くなった一因であることは間違いない。

詳しくはまた書く機会があると思うので、そのときに。

このペースでいくとガイドさんが想定していた時刻よりも荒川登山口に帰着するのが遅くなることが容易に想像できたので、ガイドさんがタクシーの迎えの時間を遅めに変更してくれた。

概ねすべての目的を果たして下山し、タクシーに乗って宿に戻ったのは18:30頃だったろうか。

ホテルの大浴場で暖まって、夕食をとったあとは誰ともなく皆横になって眠り込んだ。

というわけでの、初の屋久島体験。

これまでずっと一度は屋久島に行きたいと思っていたので、夢が叶ったことについては素直に嬉しい。

しかし、せっかくの機会を、特にそのハーバードのオジサンのためにヤキモキしながら時間を過ごしたことはなんとも悔やまれた。

今度はゆっくり改めて来るぞ、と誓った次第。

第11日 鹿児島~屋久島にて


朝食をとって、ホテルを出た。

向かったのは、またしてもレンタカー屋さん。

今日の予定では鹿児島市内で、ウィルソンの足跡を追うことだった。

100年前の写真をもとに、市内で数か所訪れるべき先のあたりをつけておいた。

レンタカーに乗り込むと早速カーナビに行先を打込む。

便利な時代になったものである。

まったく初めて訪れる街であっても、ほぼ迷わずに行きつくことができるというのは素晴らしい。

西郷南洲顕彰館、照国神社、城山公園などを回る。

城山公園から見た桜島は天気も良かったこともあって、素晴らしかった。

各所を回る中で、100年前と同じ場所を数か所探し当てた。

そのうちのひとつが例えばこのソテツの写真。

100年前の白黒写真でやはり男性がこのように腰掛けて微笑んでいる写真があるのだ。


因みにここで微笑んでいるオッサンが、ハーバード大学からやってきた先生であります。

次の目的地への飛行機が16:55に鹿児島空港から出るので、15:00には鹿児島市内を出発することにした。

レンタカーを空港に乗り捨てる作戦だが、借りた車はお値段重視の一番小さな車。

トヨタのヴィッツだった。

このコンパクトな車に大の大人4人と、大きな荷物を押し込まなくてはならない。
トランクはもちろん大きくないので、トランクからあふれた分は後部座席に座った人の膝の上に。

そんなすし詰め状態で約60分車を走らせて鹿児島空港に向かった。

なんとかすべての手続きを済ませて、次の目的地に飛ぶ。


それはどこかというと・・・・


「屋久島」であります。

今回の旅の最終目的地となる。

昔懐かしいプロペラ機に乗って、たったの25分の飛行で屋久島に着いてしまう。

路線バスに揺られて、今日から3泊お世話になるホテルに着く。

早速ブログをアップしようかなと思っていたが、生憎電波がまったく拾えない。

いつもポケットwifiのようなものを使っているのだけど、その会社の電波はまったく屋久島には届いていないようだった。

こればかりは仕方がない。

どこかでネットに繋げることができたらば、まとめてでも送れるようにこうやって「下書き」をしたためて、今日は就寝としよう。

明日はなんと朝の3時起床で、今回の旅の目玉であるウィルソン株、そして縄文杉を見にいくのだ。

無事を祈っていてくれい。

2012年11月26日月曜日

第10日 鹿児島にて


久留米のホテルを出て、九州新幹線に乗って鹿児島までやってきた。

予約してあったホテルのチェックインまでにはまだ時間があったが、とりあえず荷物だけ預かってもらってレンタカーを借りて出発する。

目的地は、蒲生(かもう)にある日本一の大楠。

樹齢約1500年、周囲目通り24メートル、根回り33メートル、樹高30メートルという堂々たるクスノキである。

もうなんというか、言葉がでてこない。

1500年もの間、そこを動くことなく立ち続けてるのだ。

言いようもないエネルギーがそこから放たれている気がした。

オジサン2名も大いにコーフンしてシャッターを切り続ける。


あのウィルソンも100年前にここに立ち寄ったのだ。

近所のカフェでカレーを食べながら、午後の作戦をねる。

結局、車を走らせて霧島神宮に向かうことに。

実は九州は初体験なので、もちろん霧島神宮にも行ったことがない。


やはり素晴らしいところで、大木がたくさんあった。

そしてやはり何かが宿っている気がした。

英国人にこの感覚はたぶん分からないだろうなぁ。


今日やるべきことをほぼ終えて、宿に向けて踵をかえす。

実は今日の夜からもう一人この旅に加わることになっていた。

彼はイギリス人ではなくアメリカからの参加で、ハーバード大学の先生であります。

彼の宿や、飛行機の手配など僕が面倒をみることになっていたので、これまで数か月に渡ってメールでやりとりをしてきた。

彼の宿泊する東京の宿に羽田-鹿児島の飛行機のチケットと道順などを記したメモを託しておいた。

無事に彼が鹿児島のホテルに着いたとのメールを受けてホッとした。

で、彼と実際にホテルのロビーで落ち合った。

これまでややウンザリするほどメールでやりとりはしていたが、会ったことのないオジサンだ。

いったいどういう風貌なのか、とても興味があった。

まるで文通相手と初めて会ってデートするようなもんだろうか。

ああかな、こうかな、などと色々思って会った。

なんてったってハーバード大学の先生だからして、とんでもない知恵の塊りなんだろう、と。

ところが会ってみるとフツーのオジサンだった。
孫もいるというから、むしろオジイサンかな。

典型的なアメリカンな英語でまくしたててくる。

僕は英国ベースの英語を旨としており、かつ、この1週間少々イギリスのオジサン2名と寝食をともにしているので、このアメリカ英語にはかなり違和感を覚えた。

面白いものである。
同じ英語なのに、まったく別の言語のように思える。

4人で居酒屋に繰り出して今後の成功を期して飲んだ。

明日は夕方に鹿児島を出発して最終目的地に向かう。

ここが実は今回の旅の最大のヤマ場ではないかと思っている。

それがどこなのか、これまでの流れを読んでいただければ大体察しはつくと思う。

さぁ、体力を温存して最後のヤマ場に備えようではないか。

それでは今日はこれにて。


2012年11月25日日曜日

第9日 長崎~久留米にて


昨日は徳島港からフェリーに乗ったところまで書いた。

実はその後もドラマは続いていた。

フェリーに乗って、さらにビールを買い足してくつろぎながら横になろうとしたのだが、どういうわけか目が冴えてしまって、そのままブログを書いた。

ただし電波が海上のため良くなくてアップには至らなかったけど。

船内で明らかに大学生と思しき団体がいたので、彼らは夜中の12時に和歌山港についていったいどうするのだろう、と思って尋ねてみた。

ナントカ医科大学のラグビー部で四国に試合に行った帰りだという。
ラグビー部の割に女子率が高いのが気になった。
マネージャーがたくさんいるみたいだった。

まぁそんなことはさておいて、彼らはどうも港まで車で来ているらしい。

「関空まで送っていきますよ!!」
なーんて言ってくれないかなぁ、と淡い期待をいだいて会話していたのだがそれは叶わなかった。

その代わりに、始発を待つなら駅前のシティ・イン・ワカヤマというカラオケ屋が安くて良いのではないかと教えてくれた。

ボスに確認すると、それは素晴らしいアイディアだ!
となり、我々はタクシーでカラオケ屋に向かうこととなった。

まさか50近くにもなってマンガ喫茶のお世話になるとは・・・。
因みに彼らはとっくの昔に50を過ぎている。

到着してみるとかなり規模の大きな施設で、いわゆるマンガ喫茶もある。

料金プランとサービス内容などを吟味して、結局マンガ喫茶の個室3室を借りることになった。

すでに12時半を回っていた。

ヘロヘロになり、個室に入ってそのまま着替えもせず眠った。

なんせ4:52の電車に乗らねばシャレにならないので、4:00起きだ。

オッサン2名はアテにならないので、自分で起きるしかない。
起きれなかったら、今度は責任を追及されかねない。

全然休まらない。

とにかく無事に飛行機に乗るまでは気が抜けないのだ。

隣のブースからはイビキが聞こえてきた。

旅には必ず携帯する耳栓をしてなんとか2時間ほど眠った。

朝、まだ星の降るなかゴロゴロと荷物を押して駅へと向かう。

関空までには乗り換えが一回あるので眠るわけにもいかない。

どうにかこうにか無事に関空について改札を出たあたりで、今度はボスではない方のオッサンが「パスポートなんかが入ったリュックを網棚に置いてきてしまった!!」とパニック顔で言う。

慌てて彼と二人で走って戻ってみると、網棚の上にチョコンとリュックがあった。

子供かっ??
頼むよ、本当に。

今回はだんだん予算が先細ってきたこともあって、長崎へ向かうのに今話題のLCCであるピーチというのを使うことになった。
関空から長崎までJALとかANAの正規料金は2万5千円くらいだと思うが、なんとこのピーチは7千円しなかった。

ただし、ネットでしか予約できないとか、手荷物は一個だけとか、重量は20キロまでとか、それを超えた場合幾らとか、あれこれと制約が多い。

今回は丸々2週間の旅であり着替えだなんだに加え、本格的な登山もすることになるのでそれなりの装備を持っているため、荷物はかなり重い。

ただこのピーチに乗る時だけは荷物を軽くしてチェックインしないといけないので、重たい登山靴を履いて、その他重そうなものを全てリュックに詰め替える。

するとなんと大きなトランクが19キロにまで減量された。

これぞ旅のテクってやつであります。

のぼったばかりの朝日に照らされて、6:45発のピーチに乗り込む。

やれやれ、とやっとここで眠りについた。

8:05に到着したのは長崎。

昨日からすると、高知、香川、徳島、和歌山、大阪、長崎と移動したことになる。

到着するや空港のスターバックスで作戦会議を開いた。

今後、どうするか。

どうしたって、希望する全ての箇所には行きつけない。
運転するのは僕一人。

ボスも、もう一人のオッサンも僕の長距離ドライブを目の当たりにしているので、やや同情もあったと思う。

予定では長崎を午前中に巡って車で平戸へ向かうというものだった。

そして作戦会議の結果出てきたプランは、今日は長崎をゆっくり回って、電車で久留米(福岡)に向かおうということだった。
平戸行きを断念したようだ。

平戸で何をするつもりだったかといえば、三浦按針の墓を見たいというだけだったので、これは断念しても問題なかろう。

長崎で訪れたのは「出島」と「シーボルト記念館」の2箇所。

植物と何の関係があるのだろうかと思う向きもあると思うが、実は出島にはシーボルトをはじめ、ケンペル、ツェンベリーといった植物についての押しも押されぬ大御所が関わっていたのである。


出島に2時間近くいただろうか。

そして路面電車を使ってシーボルト記念館へ行く。


ここで彼の生い立ちや業績などを学んだ。

今更ながらなるほどぉ、なんであります。

この記念館にシーボルトの業績のひとつである「日本植物誌」というものの「復刻版」が飾られていたが、ボスによればキューガーデンには復刻版ではなく「オリジナル」があるんだそうだ。


なんでもあるな、キューガーデン。
さすが。

シーボルト記念館でも、周辺の植物にエラく反応するふたりに、またしても置いてけぼり感を抱いてしまった。

なかなかこの域には到達できない。
勉強になるし、刺激も受ける。


そして、電車を乗り継いで今やっと福岡県の久留米に到着し、駅前のビジネスホテルに落ち着いたところだ。

彼らはツインルームで、僕がシングルルーム。

チェックインして、すぐに夕食に出掛けるのかと思いきや
「一時間後にここで待ち合わせよう」
とのこと。

今日も昼ご飯を食べていないぞ。
もうお腹がペコペコだ。

でもその案には賛成だった。

なんでかと言うと・・・

正直に告白するが、決して引かないでいただきたい。

我々は丸2日間風呂に入っていないのだ。

一昨日は例の「旅館」で、案内された風呂は黒カビだらけだったので、入らなかった。

昨日はご存知のように力尽きてマンガ喫茶ゆえ風呂なんか入れない。

オッサン二人もかなり脂ぎっていたように思うし、僕だってかなりヤバイ。

ということで、めでたく今シャワーを浴びてビールをグビグビと一人で部屋で飲みながらこれを書いている。

明日以降はちょっとはおとなしいカンジの旅になると思う。

峠は越したような、越してないような。

日程的には半分以上を消化したが、大きなヤマがまだ最後に控えているのだ。

というわけで、今日はちょっと美味しいものを食べて英気を養おうじゃぁないかということになっています。

長々と書きましたが、今日は無事に久留米泊です。

第8日続き 爆走 四国の旅


とにかくヒヤヒヤの一日だった。

まず朝起きて「旅館」をあとにした。

道の駅で朝食をとったらば、ボスが昨日の日本一の大杉にもう一度行きたいと言った。

昨日は到着が夕方だったので、できれば晴天のもと再度写真を撮りたいのだと言う。

彼らが主体であり、それをサポートするのが僕の役目なので言われるがまま、高速を走らせて再び日本一の杉の大杉へと向かった。

その後からが問題だった。

ウィルソンが高知から約30マイルほど北でとても珍しい樹木を見つけた記録があるというのだ。

場所をNISHINOKAWAというらしいと言うのだが、ネットで見てもそれらしき場所は見当たらない。

探しているのは Pseudotsuga japonica というもので和名をトガサワラという。

すると、どうもココではないかという場所の候補が見つかった。

地図で見ると近いのに、カーナビでは3時間半も掛かるという。

とにかく車を走らせる。

一般道から折れたあとはもうひたすら曲がりくねった山道。

探し求めたトガサワラに向けて妥協はない。


妥協はない、はずだった。

ところがここに様々な条件が加わってくる。

まず、我々の借りたレンタカーは21:00までに関空で返却しなければならない。

そしてそのためのプランとして16:30徳島発のフェリーに乗らねばならない。

しかし、山奥でカーナビを使って時間を見てみるとすでに16:30の徳島は不可能であると知る。

車の延長を考えた。

今日の営業時間は21:00まで。
明日は9:00から。

我々のフライトは6:45なので、彼らの開店を待ってられない。

彼らの営業時間内に車を返さないと、黙って車だけ置いていくことはできないと言う。

あれこれ知恵を絞った結果、徳島のトヨタレンタリースで車を乗り捨てて、最終フェリーで和歌山に向かうことにした。

そして始発である4:52の電車に乗ると関空に6時ころ着く。
それで飛行機になんとか間に合う。

そんなシナリオを描いた。

問題は徳島のトヨタレンタリースに彼らの終業時間の20:00までに戻らなくてはならないということ。

ここをつまづくと全てが水の泡に帰す。

ところが色んなことが起きるもので、高知県ではカシオワールドオープンゴルフとかいうゴルフの大会をやっていて、我々の進む道がものすごい渋滞だったのである。

刻々と時間は過ぎる。

何としても20:00までに徳島にたどり着かねばならぬ。
こんなプレッシャーでハンドルを握るのは初めてかもしれない。
事故をおこしてもはじまらない。

慎重に、そして大胆にアクセルを踏む。

当然疲れもあるが、そんなことは言ってられない。
気合だ、気合。

その横でボスはiPodを聞きながらうたた寝をしている。
気楽なもんである。

一発渋滞があったらばもうオシマイという世界。

どうにかこうにか19:30に徳島のトヨタレンタリースにたどり着いた。

あーーー良かった。

その後は徳島駅からバスに乗ってフェリー港に。

チケットを買って、時間があったのでラーメン屋でようやく夕食にありついた。

思えば朝食をとってから食べ物らしい食べ物はなにも口にしていなかった。

ビールが本当に沁みた。

そして今はフェリーの中。

あと1時間ほどで和歌山港に着くが、それも24:00だ。

JR和歌山駅の始発が4:52らしいので、約5時間路頭に迷うことになる。

イヤー久しぶりだなぁ、野宿なんて。

旅がすすむにつれ、ボスの財布の紐も徐々に締まってきて、「いいんじゃない、野宿で。始発まででしょ。」ということになった。

明日は6:45の飛行機に乗って九州方面に向かいます。

またレンタカーなんだと思われます。

普段は運転はまったく気にならないのだけど、さすがにゲップが出そうだなぁ。

とにもかくにも無事故だけを心掛けていきたいと思います。



2012年11月24日土曜日

第8日 徳島発のフェリーにて



21:50徳島港からフェリーにのって和歌山に向かいます。

和歌山着は24:00。

宿の手配もできず、今日は野宿です。
たぶん。

明日、早朝関空から飛行機に乗って次の目的地に向かいます。

昨日今日でトータル650キロの車の運転で疲れてしまい、今はこれしか書けません。

それではまた。

無事を祈っていて下さい。

2012年11月23日金曜日

第7日 四国 高知にて


今日は全国的に天気が良くなかったようだった。

雨の大阪をレンタカーで出発した。

今回は僕だけではなくて、交替ドライバーとしてボスも登録しようとした。

が。

イギリスの運転免許証ではダメだと断られた。
ほら、言わんこっちゃない。

というのは、彼には「国際運転免許を持ってきてね」
と予め伝えてあったのに、
「英語で書いてある免許証なんだからこれが国際免許と言えるのだ。
しかもオレはこれで数年前に北海道でレンタカーを借りたんだから間違いない。」
と強気の発言を僕にしていた。

結局、運転手は僕だけなので、またしても長距離を一人で運転する羽目になった。

ボスは
「イギリスの携帯電話は使えない、クレジットカードも使えないところが多い、免許もダメってこりゃいったいどうなってんだっ!!」
とかなりイライラしていたが、そんなことを僕に言われても困る。

逆のことは僕がイギリスに行くと経験することなわけで、そこは柔軟にそして入念に準備すべきでしょう。

というわけでハンドルを握って大阪を出発。

神戸を過ぎ、明石大橋を渡り、淡路島を抜けて、四国に入る。

人生初の四国であります。

そしてまず向かったのは、祖谷渓という渓谷。

紅葉が見事で、壮大な地形に圧倒される。
雨に煙っている様子もまた素晴らしい。

日本三大秘境とも呼ばれているらしく、すごかったなぁ。


さらに進むと、かずら橋というつり橋があって、ここは観光客でごった返していた。

我々もこの橋を渡ってみた。
ちなみに有料ね。

なんてことないといえばなんてことないのだけど、中国人をはじめ多くの観光客が大挙して押し寄せる様子をみると観光資源ってのは大切だと思う。

さぁ、時間がない。

日が暮れるまでに今日の一番の目的である、杉の大杉に到達しなければならない。


杉の大杉は日本で一番大きな杉であると言われている。

八坂神社の境内にそれはある。

樹齢は3000年といわれ、国の天然記念物になっている。

実際はふたつの杉が一緒に育っていて、小さなほうが幹の胴回り16.5メートル、樹高57メートルあり、大きな方だと幹の胴回り20メートル、樹高60メートルもあるのだという。

こんな大きな木にお目に掛かったことはない。

圧倒されたし、感動した。

一応写真は撮ったが、もちろん全て収まりきれない。


近くにいたオジサンと大きさを比較してみていただきたい。

なんだか写真を撮るよりは、その場にいて、じっと杉を見ていることのほうが良い気がした。

英国人2名も鼻血が出そうな勢いでコーフンしていたなぁ。

さて、日も暮れて今日の宿を探さねばならない。

一番近い都市として南国という市があるとのことで宿を求めて車を走らせた。

昨日の道頓堀脇のホテルが強烈だったせいか、もうゴーストタウン並みに静かに思える。

宿なんかあるんだろうか?

後免駅というところで駅員の人に尋ねたらば、6つほどの宿がのったリストをくれた。

早速電話をかけてみる。

・・・・なんとどれも満室なんである。

そうかぁ、今日から連休だったっけ。

しかしこんな鄙びた場所で全て宿が満室になるなんてねぇ・・・。

高知のホテルも3件ほどあたったがダメだった。

結局、後免駅でもらったリストの最後にあった古そうな旅館に電話を掛けてみた。

すると
「空いてますよ。いいですよ。」
とのこと。

もうえり好みしている場合ではない。
すぐに申し込んだ。

なんと素泊まり3000円。

ちょっとイヤな予感がした。
「今日は他のお客さんはいないんですか?」
「今日は休みなのよ。工事の人たちは連休だから帰っちゃってね・・・」
そうか、観光客の人を相手にしているのではなく、道路工事などの人たちを専門にしているのだな、と想像できた。

早速ボスに確認をとる。

宿はほぼどこも満杯だけど、一軒だけあった。しかも3000円。でもどうやらかなり「きわどい」カンジがするけど良いか?と。

車中泊とはいかないので、それで良いということになり宿に向かった。

どんどん人里を離れていく。
周囲はどんどん暗くなっていく。

そしてありました。
「旅館」の看板が。

優しそうなおばあさんが出迎えてくれた。

もう古い昭和の旅館そのもので、六畳二間に薄っぺらい布団が3つ敷いてあった。

トイレは昭和風ゆえ、和式、さらに汲み取り式であります。

二人の英国人の苦虫をかみつぶしたような顔が忘れられない。

そんなわけで細い電波を拾いながらの今日のブログ。

さぁ、明日はいったいどこへ行くのでしょうか。

明日もすでに判明しているかぎりでは、ちょっとエグいことが待っている・・・。