実は街は植物で溢れている。彼らは色、カタチ、ニオイなどで「ここにいるよぉ」と静かなるメッセージを出している。そこには時として胸を打つドラマがあったりもする。そんなやもすると見過ごしてしまいそうな愛すべき彼らにあまり肩肘張らずにゆる~いカンジでスポットライトを当てる。日々の「あれ何だろう?」という好奇心に素直に向き合うブログ。
2011年3月31日木曜日
2011年3月30日水曜日
2011年3月29日火曜日
2011年3月28日月曜日
2011年3月27日日曜日
2011年3月26日土曜日
東京は風が強いながらも晴天に恵まれた。
高く澄んだ空は美しく、特に夕暮れ時の西の空はため息が出るほどだった。
3月も残り僅かとなった。
月が変わったと思ったらすぐに月末だ。
年が明けたと思ったら早くも一年の4分の1が過ぎようとしている。
予想ではサクラも東京近辺では来週あたりからボチボチ咲いてくるものと思われる。
ついこの前書いたムラサキハナナも今日は咲いていたし、トサミズキやレンギョウなんかも咲いているのを見た。
アジサイなども一斉に緑色の新芽を吹いている。
この前は散歩しながら何気なく上を見上げていたらば、背の高いシュロ Trachycarpus fortunei の先端から新芽が出ているのを見つけた。
言うまでもなくシュロの葉は大きい熊手のような形をしている。
直径は1.5メートルくらいにはなるだろうか。
そんな大きな葉っぱも生まれたてはこんなに小さくて可愛いという証拠写真がこれだ。
これからは一気に加速的に色んな花が咲いたり、芽を出したりする。
書き入れ時ってわけでもないけど、花咲ジジイにとって忙しい季節を迎える・・・。
2011年3月25日金曜日
最近は似たような話が続いてしまっていたので、今日はガラッと趣をかえてみよう。
アスナロという樹がある。
ヒノキ科の常緑高木で、ヒノキに似ている。
しかし葉っぱがヒノキとは全く異なる。
ヒノキの葉はもっと細かく繊細な感じなのだが、アスナロはご覧のようにごっついウロコのような葉っぱをしている。
決定的に違うのは気孔帯といわれる、葉の裏に見られる白い模様だ。
これは文字通り気孔という小さな穴が集まってこういう白い模様を作っている。
この穴から二酸化炭素を取り入れ光合成を行って、出来た酸素を吐き出しているし、さらには蒸散といって余分な水分を水蒸気にして吐き出しているのだ。
ヒノキとサワラを気孔帯で見分けるというのが、もっとも気孔帯が注目を集めるケースではないだろうか。
これは花咲ブログ2010年5月20日で詳しく書いてあるので、そちらをご覧いただきたい。
そうやってヒノキやサワラと比べるとアスナロの気孔帯は間違えようがないくらいに独特であることが分かるだろう。
何故アスナロなのか?
有名な話として、
「明日はヒノキになろう」と立派なヒノキになることを目指していた
なんてことをよく聞く。
明日はヒノキになろう → 明日なろう → あすなろ
というわけ。
今の教育だと、どうなんだろうか。
アナタはアナタであることが一番美しく、そして素晴らしいのよ ヒノキになんかならなくて良いのよ
とか言って、アスナロなんて発想はないのかもしれない。
2011年3月24日木曜日
2011年3月23日水曜日
この前行った とんかつ屋さん。
ちょうどお昼時ということもあって、ちょっと並んで入った。
座ったのはカウンターの席。
目の前にあったのはトックリのような入れ物に入った何かの枝だった。
何かの枝などという表現をしたのは何故かというと一見してそれが何かが分からなかったからだ。
何故かというと、残念なことに葉も花も萎れて枯れてしまっていたからだ。
じっと見ていて なんで枯れた枝を飾っていて平気なんだろうか? と疑問に思わずにいられなかった。
写真で見える枝の先端にあるものがカサカサに萎れた葉だ。
同席した人に これは何でしょうかね と聞かれたので、それが何かを判別するために乗り出して枯れた枝を見た。
どうもコデマリ Spiraea cantoniensis もしくは、ユキヤナギ Sipraea thunbergii のいずれではないかと思われた。
結局花の付き方からしてコデマリであると結論付けた。
ヨカッタ、何だか分かって。
よく、これ何でしょうか と聞かれることがあるが、聞かれるたびにドキドキする。
尋ねる方は花咲ジジイゆえ、当然知ってるだろう という期待のもと質問をあびせてくるわけだ。
しかし花咲ジジイはあくまでも花咲ジジイであって、植物学者ではない。
なんとか持てる知識を結集して答えを探す。
まさに綱渡り的日常と言えよう。
このときはちょうどカウンターの隣の席に座っていた女性も僕らの会話に関心を寄せている雰囲気を感じ取っていたのでなおさら緊張した。
もしこの女性が植物通で瞬時にこの枝が何の枝か分かっていて、さらに花咲ジジイがとんでもない答えを口にしていたら・・・・
考えすぎだろうか。
自意識過剰ってやつだな。
話がそれてしまった。
言いたいことは、せっかく美味しいとんかつやさんなんだから、花くらい枯れたものでなくいきいきとしたものを飾っておくれよ ということ。
花一輪は気持ちをアゲてくれるけど、枯れた花は逆に気持ちが沈んでしまう。
料理だってイキイキとした花を見て食べるのと、枯れた花を見て食べるのでは味わいにも差があるように思うのだけどどうだろう?
花って不思議だね。
2011年3月22日火曜日
地震から10日以上が経ったが、いまだに余震はほぼ毎日あるし、原発問題も予断を許さない。
加えてガソリンは入手しづらくなったし、牛乳、パン、米、卵などがスーパーから姿を消した。
政治も不安定だし、円高、株安など経済的にも良い話はない。
親しい友人の住む浦安も液状化現象とやらで生活がままならない。本当に同情の言葉もない。
・・・・どのようにこの災害を収束するのか、と考えるとなんとも暗澹たる気分になってしまう。
あの日以来、海外の友人たちからメールが頻繁に届くようになった。
彼らは津波が町を飲み込む様子などかなり衝撃的な映像を見ているので、そこに花咲ジジイがいるのではないかと思って心配してくれているようである。
一応、東京と東北の位置関係なども含めて近況報告の返事をしたが、次は原発の心配をしてくれている。
有難い限りである。
そんな彼らのメールによく見られるフレーズのひとつに
chin up という言葉がある。
訳すなら 元気を出して というような感じだと思う。
よく必須英熟語××× などのタイトルがついた本の類に載っていると思うのだが、実際にこの言葉を使っているのを聞いたことがなかった。
でも幾つかのメールにこのフレーズを見掛けると ああ、本当にこうやって使うんだ とヘンに納得してしまった。
今まで聞いたことがなかったのは、単に自分がハッピーな暮らしをしてきて、そんな言葉をかけてもらう必要がなかったからなのかも、とも思う。
気持ちが沈んだときに、親身になってかけてくれるこういう言葉は本当に胸にしみる。
散歩していたらば紫色のツボミを見つけた。
最近見かける早春の花は黄色が圧倒的に多いので、紫色はかなり目立つ。
これは ムラサキハナナ Orychophragmus violaceus である。
ツボミに細かい毛が生えているのが面白い。
サクラの咲く頃、千鳥が淵の辺りはサクラのピンク、ナノハナの黄色、そしてムラサキハナナの紫色と入り混じってなんとも賑やかになる。
あと2週間くらいかなぁ。
気持ちはなかなか上がらないけど、こういう春のサインを見つけると 頑張らなきゃ と思えてくる。
Chin up and keep smiling
2011年3月21日月曜日
ここは文京区東京大学前。
学校関連のニュースとして各校で卒業式、入学式が自粛、もしくは縮小されているということを聞く。
頑張って受験戦争を勝ち抜いた人、頑張って学業を修めた人が節目としてのセレモニーを迎えられないというのは何とも気の毒な気がする。
東大前の本郷通りを自転車で駆け抜けたときに ンっ?! と思ってブレーキをかけた。
通り沿いにある木々が、随分デカクないか?と思ったのである。
普通こういう場合、ケヤキだったりイチョウだったりするけど、いずれも落葉樹。
この大きな木々は葉っぱがワサワサと茂っている。
これはクスノキだ。
樹高は20メートル以上ある。
大きなクスノキといってスグに思い出すのは以前花咲ブログで書いた明治神宮のご神木となっているクスノキ。
あれは樹高もさることながら、幅も含めて全体的に大きなクスノキだ。
これは背は高いながらも、一方で道路に面し、一方で建物に面しているので、かなり窮屈な場所で頑張っている。
根をどこにおろしているかといえば、東京大学の敷地内なので、所有・管理は東京大学の管轄なのだろう。
これだけ大きなクスノキが整列しているのはなかなか珍しいと思う。
それにしても、木というのは伊達に何十年、何百年と生きているわけではない。
そばに寄ればとてつもない生命のエネルギーをひしひしと感じる。
元気がなくなったら大木に抱きつくというのはあながち悪いアイディアではないと思うな。
2011年3月20日日曜日
昨日のブログを読んで あれっ、花咲ジジイのところには花が一輪だけじゃなかったの? と思われた方もいらっしゃるかもしれない。
そうなんです、自分で買ったのは一輪。
これは間違いない。
この前 「花で人を幸せにする講義」 というタイトルで恐れ多くも花のプロフェッショナルの方々にお話する機会があった。
そのときにチューリップとガーベラを 分解(解剖) して普段気付かない花の不思議に目を向けてみようってなことをやった。
そのときに主催者の方に用意していただいたのがチューリップとガーベラだったのだが、これが余ったというので 是非! といって頂戴してきて家で活けたのであった。
花一輪だったはずが、突如として花長者のようになってしまったというわけだ。
毎日せっせと水をかえて今も楽しんでいる。
そのときに、とある会社の社長さんとお話しする機会があったのだけど、その社長さんの実行していらっしゃる内容に胸を打たれた。
花を扱う会社なので、普段から社員の皆には花を買って家で活けてみて欲しいと思っていたそうだ。
でも花を買うといってもお金の掛かることなので、
花は人を幸せにできる手当 という通称 花手当 をもうけて毎月一定額を支給しているのだそうだ。
スバラシイ!!!!
ちょうど花咲ジジイが 小さなシアワセ運動 を提唱したのと奇しくも目指すところは同じである。
でも花は人を幸せにできる手当で、昼ゴハンを食べたり、タバコを買ったりしてしまってはいないんですかねぇ
なんて失礼と知りつつも大胆かつ率直な質問をぶつけてみたところ、そういう輩はおらず、皆花を買って楽しんでいるのだというお答えが帰ってきた。
手当というと子供手当なんかが最近の話題ではあるが、良いじゃないですか花手当。
さらに花は人を幸せにできる手当というネーミングがイカしていると思うなぁ。
通勤手当、皆勤手当、職務手当などの脇に花は人を幸せに出来る手当なんて書いてある給与明細はかなりステキな感じがする。
2011年3月19日土曜日
花を一輪活けるだけで心華やぐという 小さなシアワセ運動 を提唱したのは2週間くらい前だったろうか。
そしてあの地震から一週間が経った。
あの日、ほうほうのてい で家に戻ったときに幸いに家の中の被害はあまり大きくなかった。
でも棚に置いた花はビアグラスごと床に落ちていて ああ、グラスも割れてしまったのだろう と思った。
しかし奇跡的にそのビアグラスは割れておらず、直ちに拾い上げて水を入れて花を救った。
その後も余震が頻発したので棚の上などには置いておけず、グラスや花瓶が滑り落ちない安全な場所に置こうと思って部屋中を眺め回した。
眺め回した結果、花瓶などを置くのに一番安全だと思われたのはキッチンのシンクの中だった。
これならいくら揺れても床に転げ落ちる心配はない。
心配はないが、花を愛でるとか鑑賞するという感覚とはちょっと違う気がする。
でもこの余震が続くご時勢、いたしかたあるまい。
可愛い子犬を檻のなかに閉じ込めておくような感覚と似ている。
ウーム と腕を組んでうなってしまった。
そこで在宅時には然る場所に置いて、外出するときにシンクに入れていくことにした。
そんな訳で外から戻るとシンクにある花瓶の水をついでに入替えて棚に置いて、外出するときにはまたシンクに戻すという生活が続いている。
さてこの前、自転車のことで相談にうかがった あしびなさん から、
震災後のこういうしんどいムードを花の写真で盛り上げませんか
というご提案を頂戴して、あしびなさんのHPにて花咲ジジイの撮った写真を掲載していただく運びとなった。
手始めに何点かの写真を選んでみた。
これまでのストックの中からということなので、必ずしも季節的にドンピシャであるとは限らない。
でも花を一輪活けるのもなかなか難しいというばあいは、せめて写真でも見て心和ませていただければと思う次第であります。
よろしければご覧になってみて下さい。
日本一親身になってくれる自転車屋さんあしびな。
自転車をどこで買おうかなと迷っている方がいらっしゃれば一度覗いてみると良いと思います。
2011年3月18日金曜日
この前うかがった友人宅の庭にジンチョウゲの甘い香りが漂っていた。
ああ、春なんだなぁ と鼻をヒクヒクさせてその香りを吸いこんだ。
一部は咲いていたけど、一部はまだツボミが硬かった。
そのツボミの固いやつをちょっとだけ分けてもらって家に持ち帰った。
とりあえずマグカップに水を入れて、ちょこんと入れておいた。
2日ほど経つと机の上から甘い香りが漂うようになり、花咲ジジイの部屋はジンチョウゲの香りで満たされた。
もともと胸がギュっとなるくらい思い入れのある香りだけになんともシアワセな気分になった。
かれこれ1週間近くなるがまだ咲いている。
こうやって庭先にある花をそっと活けるというのは、花を一輪買ってきて活けるよりもさらに敷居が低いというかとっつきやすいのではないだろうか。
なんてたって原価ゼロ、しかも新鮮である。
何でも良いからやってみると面白いと思う。
ところでジンチョウゲの香りは何気なしにそこはかとなく漂う程度が良いのだと思う。
イザ自分の部屋がジンチョウゲの香りで満たされると、一定時間後になんだか満腹になって、しまいには自分の部屋から別の部屋に移動させてしまった。
子供のころプリンが大好きで台所にあったバニラエッセンスの小瓶の蓋を開けて鼻を近づけては恍惚としていたことがある。
ある日思い余ってあろうことがバニラエッセンスを鼻頭に塗った。
子供の浅知恵とはこのことである。
塗ってしばらくは恍惚としていたが、スグに満腹になり鼻からその香りを取り除けたいと思った。
洗っても洗ってもバニラのニオイは落ちない。
最後には気持ち悪くなってグッタリしてしまった。
何事もほどほどってもんがあるんだよなぁなんてことを思いながらジンチョウゲの残り香のする部屋の机に向かってこのブログを書いている。
この前のブログ でジンチョウゲとミツマタは同じ科でとても近い仲間だと書いたけど、今日のジンチョウゲの写真を見てくれたまえ。
枝が見事にミツマタになっているではないか。
こんなところに真実が。
2011年3月17日木曜日
なんか 頑張ろうシリーズ になってしまっているが、自分の気持ちに素直に従ってキーボードを打っていると自然とこうなってしまう。
ちょっと前、一輪の花を飾ると気持ちがなんとなく高揚するのでおススメだと書いた。
確かにその通りであると実感した。
で、最近テレビのニュースを見るたびに滅入ってしまうので、花をそっと一輪飾ってみた。
正直言って、高揚するところまではいかない。
それほど今回の災害のショックは大きいのだと思う。
まだ底が見えないし・・・。
でも逆説的に
「花を飾っても今は気分が高揚しないのは自分にその余裕がないからだ。
ちょっとでもあの高揚感を思い出せるレベルまで自分を落ち着かせよう。」
という、ひとつのバロメーターになるのではないかと思う。
一隅を照らす の本来の意味は自分自身が置かれた持ち場で精一杯努力して光り輝くことが出来る人こそが何にも代え難い尊い国の宝である というような意味である。
そういう意味では本来の意味と少々ずれるが、花を一輪部屋の隅に活けるだけで部屋全体が明るくなるような気がする。ひいては部屋にいる人の気持ちをも明るくするのではないだろうか。
なので一隅を照らす。
いや、一隅から照らすかな。
もちろん本来の意味において花咲ジジイも一隅を照らしたいと切に思っている。
2011年3月16日水曜日
風の強い1日だった。
陽だまりの中で強い風から身を守るように背を低くして小さな白い花が咲いていた。
春の七草のひとつ ハコベ Stellaria media だ。
葉っぱが瑞々しくて柔らかいので、子供のころ飼っていたジュウシマツのエサとして摘んできたことを思い出した。
そのころは花がどうなっているなんてことは一切見なかったなぁ。
こうやって身をかがめて小さな花を咲かせているのはなんともけなげで愛らしい。
ハコベの花びらは何枚だか分かりますか?
そんなの数えれば簡単、1、2、3・・・・・ 10枚でしょ。
そう思われた方、残念でした。
正解は5枚。
1枚の花びらが深く切れ込んでいるために1枚の花びらが2枚に見えるのだ。
ハコベ、春の七草。 春はそこに。
ハコベの学名 Stellaria は花の形からきていると思うが、星という意味がある。
そして誰がタネを蒔いたわけでもなくこうやって一面に繁茂している。
春、星、といった言葉から何が連想できるだろう?
そして強い雑草魂。
花咲ジジイにとってこのハコベは復興に向けての強烈なメッセージ示唆しているように見えたのだけど考えすぎかなぁ。
2011年3月15日火曜日
心は晴れない。
晴れないけど、地に足をつけて前に進むしかあるまい。
近所を散歩すれば春はここそこにやってきている。
スイセンはとっくに咲いていたが、今でもこうやって可憐な姿を見せてくれている。
さらにチューリップなんかも花壇に咲いていた。
明けない夜はない。
季節も冬から春へと確実にうつっていって、こうやって色んな花が咲くようになった。
今月末ごろにはそろそろサクラの開花なんて話も聞かれるはずだ。
私事で恐縮だけど、花咲ジジイのもとに地震以来、海外、特に英国の友人たちから安否を気遣うメールが送られてくるようになった。
海外のメディアでどのように扱われているかといえば、リビアなどの中東情勢を抑えてトップ級に報じられている。
地震→津波→原子炉 そして社会的な混乱、経済的な混乱を伝えているわけだけど、海外にいてテレビで津波によって町が飲み込まれてしまった様子を観れば心配になってしまうのは頷ける。
全く連絡が途絶えていた友人からも連絡がきたりして、それぞれの気遣いがとても嬉しくて涙がでそうになった。
色んなことはあるけど、花はこうやって春を感じて花を咲かせて頑張っている。
心に花を咲かせて、上を向いて歩いていこう。
2011年3月14日月曜日
気持ちを切り替えようとしています。
切り替えようとしていますが、目に入る情報、列車の運行、物資の不足など行動を制限する事象すべてが震災と繋がっていて自分の気持ちをコントロールすることの難しさを感じています。
東北地方に親戚はいないのですが、どうしても他人事とは思えませんし、まだ続く余震も不安ですし、これから我が祖国日本はどうなっていくのだろうというような不安とも絶望ともいえない不思議な気持ちに支配されます。
こんなときこそ一人一人がそれぞれの持ち場を全うすることが大切だと思います。
花咲ジジイの持ち場は何だろう?
そんなことを自問しています。
花や植物を通じて身近なシアワセに気付いてもらうこと・・・
震災になぞらえて表現するとそんなところかもしれませんが、そんなことは何の役にもたたない気がして、なんとも言えない虚無感にさいなまれる訳です。
ゆっくりと平常ベースに戻していければと思います。
そんな中でもなんとか植物に絡めて話そうということで、たまたま昨日撮った写真を。
これは東京都文京区にある小石川後楽園の入口です。
門は閉ざされて人気はなく 休園 CLOSED の張り紙が見えました。
地震があったのが、金曜日。
日曜日に開園するにはまだまだ時期尚早ということなのでしょう。
閑散とした都内を自転車で通り抜けながら、胸がギューっと締めつけられました。
花咲ブログでは正確ではないながらも、プロバイダーのアクセス分析的なものでどこの都道府県からのアクセスがあったということが分かる範囲で表示されるサービスがあります。
これによると今日は宮城県から1件のアクセスがありました。
どちらにいらっしゃる方なのでしょうか。
深刻な震災のさなか、花咲ブログをのぞいてくださった方がいらっしゃることを知って東京にいる者がそんな弱気ではいけないなと思いました。
みんな力を合わせて頑張りましょう。
2011年3月13日日曜日
お元気ですか。
震災にあわれた方、被災地の皆様には心からお見舞い申し上げます。
平静を保とうにも、テレビ、ラジオは震災のこと、そして買い物に出掛ければスーパーやコンビニの棚はスッカラカンでとてもとても平常でいろと言われてもなかなか難しい。
11日、グラッときたとき花咲ジジイは地下鉄高田馬場駅の構内にいた。
確定申告を税務署に提出しようと東西線を待っていた。
なんか変だなぁと思っていたらば、お向かいのプラットフォームに停まっていた東西線が上下にバウンドしてした。
何も出来ずにボーっとそれを見ていた。
一回揺れがおさまって我にかえって 「地下にいるのはヤバい!!」 と本能的に感じて出口に向かって走った。
改札では駅員が地下鉄は安全です!と大きな声で言っていたが、とにかく生き埋めだけはゴメンだとばかり改札を出て階段を登って地上に出た。
早稲田通りの真ん中に人々は立ちすくみ、全ての車は止まっていた。
揺れがおさまって人々は歩道に戻り、車も少しづつ動き始めた。
どうしようか。
確定申告は来週の火曜日まで。
仕事もあるし、なんとか今日提出したい。
一旦家に帰って自転車に乗ればなんとか行けると思う。
でも、途中でまた大きな揺れがあって、怪我をしたり命を落としても困る。
たかが確定申告に命を懸けることもあるまい。
で、どうしたかといえば、やってきたタクシーを止めて家の近所まで乗ったのである。
これは後になって思えばナイスな好判断で、タクシーに乗るために行列したり、長距離を歩くということもなくサッとタクシーをつかまえサッと乗って家に帰ることが出来た。
家では花瓶が床に落ちていたり、たんすの引き出しが開いていたりしたが、幸い大きな被害はなかった。
しばしテレビを見て情報収集につとめ、改めて確定申告提出は断念した。
そこで気になったのが義理の姉家族のことで、近所に住んでいるので様子を見に行った。
義理の姉夫婦そして姪は無事だったが、電車で通学している甥っ子がまだ帰らないという。
そこで自転車で飯田橋、神楽坂、早稲田と捜索に出かけた。
歩いて家路につく人々で歩道はごった返し、道路は車で動かない。
改めて思ったのは自転車というのは災害時の最強移動ツールであるということである。
移動距離も長いし、早い。
交通渋滞にも巻き込まれない。機動性に富む。
スバラシイ。
結局甥っ子は自力で無事に帰宅したとの連絡があって、花咲救助隊も帰還することにした。
帰り道、信号で止まっていると歩いて家路に着く人に道を尋ねられた。
池袋はどの方向ですか?
説明しているうちにその人の後ろに別の人が待っていて、練馬にはどうやって行けばいいですか と聞かれた。
そうこうしている内に花咲ジジイの前に3人くらいが並んでいた。
花咲ジジイは普段から自転車で都内を移動しているため、都内の地理はだいたい頭に入っているし、距離感も、土地勘もある。体力もまぁまぁある。
しかし、今日突然歩いて職場から家まで帰ることになった人たちの多くは方向感覚もあまりないようで困惑しているのが良く分かった。
できるだけ親切に分かりやすく道案内をして家に戻った。
こんな花咲ジジイでも人の役に立つことはあるんだな。
改めて自転車ってスゴイと思った。
実は花咲ジジイの愛車はもともと阪神淡路大震災のときに手に入れたものである。
当時神戸に住んでいた祖父母の家がどうなっているか見てこられたし、という祖父の指令を全うするために買ったものだった。
東京から新大阪まで新幹線にのって、あとは西宮北口までしか電車が動いていなかったので、そこから自転車を組み立てて、震災直後の神戸を自転車で走った。
今でも鮮明に覚えているけど、信じ難い光景だった。
川で洗濯している人がいたし、家屋はぺしゃんこだった。
車はあまり走っていなかったけど、スクーターや自転車が瓦礫をかき分けるように走っていた・・・・。
そしてこの大きな地震でこの同じ自転車がまた活躍しているというのはなんとも感慨深いものがある。
なんというか不思議な因縁を感じずにはいられない。
いろいろと手を加えてカスタマイズしてきたのだけど、かなりタイヤやブレーキも減っていたので、久し振りに懇意にさせていただいている自転車屋さん あしびなさん に伺ってタイヤとブレーキを新調してもらった。
命を預ける自転車だけにこの地震がおさまるまで何が起きるか分からないので万全を期しておこうというわけである。
遅い時間に親身に対応していただき有難うございました、あしびなさん。
地震のショックは確かにあって、平静をたもつのもなかなか難しいけれども、是非皆で助け合って力を合わせてこの難局を乗り切りたいと切に願うばかりである。