実は街は植物で溢れている。彼らは色、カタチ、ニオイなどで「ここにいるよぉ」と静かなるメッセージを出している。そこには時として胸を打つドラマがあったりもする。そんなやもすると見過ごしてしまいそうな愛すべき彼らにあまり肩肘張らずにゆる~いカンジでスポットライトを当てる。日々の「あれ何だろう?」という好奇心に素直に向き合うブログ。
2008年2月29日金曜日
今日はちょっと趣きを変えて。
春の訪れを知らせるスイセン。
なんだかなんでもかんでも「春の使者」になってしまうが、でもそうなんだから仕方がない。
ロンドン西郊外にある、キューガーデン(Royal Botanic Gardens, Kew)のブロードウォーク(Broad Walk)は約400メートルあり、この道路の両側にはスイセンがびっしりと咲き、さながらカーペットのようである。
壮観。
スイセン以外にも、スノードロップ、クロッカス、ブルーベルなどの球根類が順繰りに咲いていく。
スイセンの学名は Narcissus で発音すると「ナーシサス」(ナルシサス)となる。
なんかに似ていないか?
そう「ナルシスト」「ナルシズム」。
これには逸話がある。
ギリシア神話にでてくるのだが、もてる美少年の主人公の性格がよろしくなくて、言い寄ってきた女性をことごとく振ってしまう。
ついには恨みを買ってしまい、復讐の女神から制裁を受ける。
水面に写った自分自身に恋をしてしまい、成就しない恋に疲れ切って、ついには死んでしまう。
そして水辺に頭を垂れて咲くスイセンが成れの果てなのだ・・・。
自分に酔ってしまう、自分大好きな人をナルシストというのは、ここからきているのだ。
知ってた??
最初にこれを聞いたときは「へーーーっ」とやたら感心したものだ。
スイセンというと「水洗」トイレのようだが、
Narcissus というとちょっとはスイセンを見る目が変わりやしないだろうか?
2008年2月28日木曜日
2008年2月27日水曜日
昨日のお弁当話の流れでもうひとつ。
この前行った寿司屋にこんなことが書いてあった。
「一年間に日本国内で消費されている割り箸の量は約250億膳と言われています。なんと2階建ての一軒家が約一万戸建つ計算になります。そうした環境資源の節約に少しでも役立つ様に当店では割り箸や木製楊枝の使用を控えております。」
ナルホド。
それは凄い。250億ってどんだけだ??
実際、コンビニにお昼ご飯を買いにいくと、お弁当には割り箸、パック麦茶にはストロー、ヨーグルトにスプーンとなんでも付いてくる。
お弁当を暖めてもらうと、暖かいお弁当と冷たい麦茶を別々の袋に入れてくれたりもする。
ある意味、スゴク気を遣っていただいているのだけど、それらはすぐに用済みとなってゴミとなる。
エコバッグなど持っていて、「あっ、袋はいいです」なんてことを、店員が袋を取り出してから言ったりすると、一応「有難うございます」と言ってその袋を引っ込めるのだけど、その引っ込めた袋をチャンと次の人に使うのか確かめたくなる。
一旦他人に出したものを使いまわすのは失礼とか言って、まさか捨てたりしてないだろうな、と。
となると折角の行為が無駄になってしまう。
という訳で、最近は「マイ箸」なるものを携行し、極力割り箸を使わないようにしている。
ところが時として、「ハテ、今日はマイ箸を持ってきていたっけ?」とレジで不安になって、「あっ、箸はいいです」といった直後に、「スミマセン、やっぱりお箸下さい」などと言っていたりして、つくづく自分の頭の悪さに嫌気がさしたりする。
箸ナシでお弁当を広げるとなると、それこそそれは Disaster (大惨事)である。
日々植物に触れるものとして、それらを慈しみ出来るだけお役に立ちたい、と思いマイ箸をリュックサックに入れて仕事に向かう今日この頃である。
2008年2月26日火曜日
今週は植木屋さんをやっている。
お世話になっている親方のお手伝いだ。
植木屋をやって思うのは「やっぱり、好きだな、この仕事」ってこと。
朝のピリッとした空気のなか仕事を始めて、身体を動かして、10時のお茶、お昼、3時のお茶と規則正しく一日が過ぎる。
オフィスワークをしていても当然そうやって昼ごはんを食べたりはするけど、「時間だから食べる」ってカンジ。
でも植木屋をやっていると、カラダが欲している。
なので、例えそれがコンビニ弁当であってもビックリするくらい美味い。
特にイギリスから戻ってからは、こんな気の利いた弁当が500円で食えるのか、と感激したものだ。
サラリーマンを辞めて植木屋で修行を始めたころは、この地べたに座って弁当を食べるっていうのが、自分のなかではとても新鮮だった。
夏は木陰を探し、冬場は日向を探して弁当をつつく。
最近のように寒い日はどうしても早食いになってしまう。何故なら早く食べないと外気にさらされて弁当が冷えてしまうからだ。
まさに究極のアウトドア。
思えば、僕がまだ小さかった頃我家にも定期的に植木屋さんが来ていた。
お茶の時間など、彼らに混ぜてもらってオトナ気分を味わったものだが、とくに記憶に残っているのが彼らのお弁当。
新聞紙に真鍮のお弁当箱が包んであって、中は古典的な日の丸弁当。
すっごく美味しそうだった。
同じものを作ってくれと母にねだり、お昼時に職人さんたちと一緒に弁当をつついたことなど思い出す。
それから35年以上経って、僕は植木屋さんとして地べたに座って弁当をつついている。
<今日はベンチがありました>
2008年2月25日月曜日
世の中には「縁起物」というやつが幾つか存在する。
植物界の縁起物といえばコレ、ユズリハである。
庭木としてまあまあポピュラーで、縁起が良いので植えてくれというご指名がままある。
なんで縁起が良いのかと言えば、春に若葉が出てから前年の古い葉が後進に譲るかのように落葉することに由来するといわれているからだ。成長した子に後を譲ることになぞらえて「めでたい」ということになっている。
僕はその辺のことよりも、葉の柄(葉柄)の色がなんともビミョーなので、見るたびにいつも、「前方にユズリハ発見っ!!」と心の中で指差し点呼している。
そろそろ「譲る」季節が近い。
2008年2月23日土曜日
それにしても今日の 春一番 というか突風はすごかった。
昼頃はポカポカ陽気で、「半袖」「ビール」ってカンジだったのに、2時頃には急に気温が下がり、暗雲がたちこめ、ヒューーッという風切り音とともに砂塵が舞った。
それが砂だと気付くのに少々時間が掛かり、視界か悪くなったのは霧か何かのせいだと思っていた。
やっぱり何かがオカシイ。
風で吹き飛ばされそうになりながら、自転車にしがみついて家路を急いだ。
さて、急ぎ足だと見過ごしてしまうが球根たちもガンバッテいる。
落ち葉の影に隠れて、やもすると見過ごしてしまうがご覧のように球根の芽がひょっこりと顔を出している。
庭仕事に行ったりして、この春の使者に気付かずにうっかり踏みつけたりすると、そのお家の方から大変ガッカリされる。当たり前だ。
春先は足元に注意。
慣れてくると芽をみて何の花か分かるようになってくる。
例えば今日の写真であれば、恐らく「スイセン」だろう。
葉っぱのカタチ、色などから特徴が知れる。
クロッカスであればもっと細くて緑の色が濃くて時折葉っぱの真ん中に白い線が入っている、とか。
人間の顔に特徴があるように、植物の葉っぱにもまた特徴がある。
2008年2月22日金曜日
コレは何?
四谷近辺の交差点で見た。
白い鉢に植わった結構立派なオリーブの木が2鉢。
どこが悪いのか?
特に病気に掛かったり、ムシが付いている様子もない。
察するに、どこかの事務所に置いてあったが、引越しか何かで厄介になってしまって、そのまま捨てられたものと思われる。
最初はゴミとは思えなかったのだけど、写真で分かるようにゴミ袋と一緒にゴミ置き場に置いてある。
もったいない・・・というのが率直な感想。
出来ることなら拾ってかえって育てるなりしたいところだけど、生憎自転車だったし、木そのものが結構な大きさである。
最近犬などを飼いきれなくなって、捨ててしまう心ない飼い主がいるけど、このオリーブもそうではないのだろうか?
"A dog is for life, not just for Christmas"
というステッカーを車に貼ってあるのをイギリスでよく見かけた。
「犬は命あるかぎり生きる一生モノ、クリスマスのプレゼントのときだけのものではない」という意味になり、クリスマスプレゼントとして買ったは良いけどすぐに飽きてしまって、捨ててしまうことが多いことを問題視して動物愛護団体が作ったステッカーだった。
Dog を Plant に置き換えて、もっと彼らを愛してやってはどうだろう。
2008年2月21日木曜日
~ Basil weekly news vol.1
その後の我家のバジルのお話。
窓際の日あたりの良い場所に置いてあるせいか、スクスクと育っている。
本日2月21日、第25日目。
ご覧のように小さいながらも 大き目の双葉の間に 本葉がはえてきている。
そのいでたちは小さいながらも立派なバジル。
豊島園プールからプリンスホテルプール待遇にしたのだが、まだ込み入っているというバジルからの苦情を受け、再び間引きを決行。
これにより現在の遊泳者は5名。さしずめ、グランドハイアットプールといったところか。
今後の成長次第で、更なる間引きをして最終的には2,3本となると思う。
ビバリーヒルズの某ハリウッドスター邸のようなプライベートプール的悠々ライフをしばし与えて、収穫だ。
間引いたベビーバジルを口に入れてみたところ、当たり前だが、ちゃんとバジルの味がした。
グングン成長していると思っていたのだが、当初の成長スピードはやや衰えてきている。
収穫は春本番になってからかな。
2008年2月20日水曜日
チャドクのショッキング画像のお口直しに、ローズマリー。
常緑の低木なので、なんか緑のモノがある、という程度で気付かない人も多いのではないだろうか?
写真のように淡い青色の小さな花が咲くし、なんといってもそのニオイに特徴がある。
手でシゴいてみて、手に移ったニオイを嗅いでみたらいい。
イギリスではラム料理との相性が抜群で、自分の庭に生えているローズマリーを適当に摘んで使っていた。焼きあがったラムにミントソースをかけて頂く・・・。
誰だ、イギリス料理はマズイと言ったのは?
それは単に美味い料理を出す店を知らないだけ。
イギリス料理はフランス料理やイタリア料理のような気の利いたものは確かにないけど、無骨ながら素朴で家庭的な愛すべき味だ。
美味い店はどこにあるか?
それは田舎町の小さなパブなどである。
大型スクリーンで、サッカーの試合を流しているようなパブではなく、静かで、冬場であれば暖炉で薪がパチパチと燃える音が聞こえるようなパブであればかなり美味しい可能性が高い。
マズイ、話がそれてしまった。
イギリスのパブの話をすると延々といつまでもネタは尽きない。
閑話休題。
ローズマリーは挿し木で簡単に増やせるので、我家にもと思った人は、園芸店で高い買物をせずにご自分で増やすことをオススメする。
これから春を迎え、自宅で増やす絶好のタイミングだ。
2008年2月19日火曜日
この季節赤や白い花が目を引くのがツバキ(Camellia japonica)。
お茶をたてて頂戴するときに床の間にあるととても絵になる「和」なテイストの花だ。
キレイでカワイイことだけではないのだ、自然界は。
その辺の現実を今日は直視してみたい。
ツバキ、サザンカ、チャノキといったツバキ科の植物を好むのが、その名も「チャドクガ」という毒蛾である。
どんな奴らなのか?
その写真を公開しよう。どうか引かないでいただきたい。
これは昨年の夏に撮ったものなので、今はまだいないのでご安心を。
見ると仲良く一列に並んでムシャムシャと葉っぱを食っている。
この隊列を組むのは習性のようで、なかなかのチームワークと言えよう。
皆がギャル曽根みたいなもんで、ひたすら食って食いまくる。
一枚葉を食い尽くすと、次の葉へと移動し、また食う。
葉が妙に少なくて、枝が目立つツバキを見たら要注意ですゾ。
彼らはこの冬の時期は卵の状態で越冬して、4月頃、春の訪れとともに姿を現す。
大きさは大したことはない(2~3センチ)のだけど、カラダに生えている毛に毒があって触るとかぶれる。アレルギーがある人だとアレルギー反応を起こす。
チャドクガ一匹に50万~600万本(!!)の毒針毛が生えているともいわれているらしい。
この毛は風にのってフワフワと舞うことがあり、毛虫に触った覚えがなくても被害にあうことがある。
毛虫なので、 脱皮 するのだが、中味のないカラッポの「皮」にも毒成分は残っている。
よって、この真冬のシーズン毛虫はウロウロしていないであろう時期であっても、夏に脱皮した皮が残ってるツバキなどを剪定したリするとやられてしまう。
やられると、もう痒くて痒くて発狂しそうになる。
一度エラくやられて、ニッチモサッチもいかなくなり、皮膚科に駆け込んだことがあるのだけど、そこで看護婦さんに状況を説明するために腫れた身体を見せたら、「ヒッ」と息をのんで一歩後ずさられたことを憶えている。
塗り薬、飲み薬などもらったけど、治まるまで1週間くらいかかった。
長袖を着ていても衣服の繊維の間から入ってくるほど毒針毛は細かい。
真夏にこれに対抗すべく、サウナスーツのようないでたちで臨んだことがあるけど、これは暑すぎて別の意味で倒れそうになり、作戦を中止した。
僕が大変お世話になり尊敬してやまない植木職人の親方は、この道が長く身体に抗体が出来ているらしく、涼しい顔で「ウン、ちょっと痒いかな」と意に介さぬ様子。
傷口を舐めて治す野生のオオカミを髣髴させる。
僕が女の子でこんなワイルドな男性が現れたら「グラッ」とくるに違いない。
手入れのために庭に入るときには、まずその庭にツバキ、サザンカなどがないかをみるようになった。
あった場合、さらに目を凝らして、それが食害にあっているかを見る。
食われていなければ大丈夫だが、食われていたら親方がいれば親方に剪定をお願いする。
嫌な顔ひとつせず引き受けてくれる親方に、心の中で手を合わせて感謝する・・・・。
春は待ち遠しいけど、ある意味待ち遠しくない。
2008年2月18日月曜日
2008年2月17日日曜日
2008年2月16日土曜日
2008年2月14日木曜日
近所を散歩していて、「ありゃ随分スッキリしちゃったなぁこの庭」と思って、見ていたらご覧のとおりサクラの木の枝がバッサリと切られていた。
「うわー、やっちゃったな、こりゃ」とサクラが気の毒になった。
どいう事情かは知らないけど、サクラはかなり繊細で細い枝などを切るには問題は少ないが、ここまで大きく切ると 致命傷 になりかねない。
賛否両論あるのだけど、とくにサクラのようにセンシティヴな木は切った後には癒合剤を塗るというのが一般的。このサクラには、その形跡もなく 「イテテテ・・・」といううめきが聞こえてきそうである。
のこぎりで切れるサイズではなかったので、チェーンソーを使ってあるあたり、それなりのプロが切ったものだとは思うのだけど。
気の毒。
一方、ウメは切ってやることでそこからまた元気よく枝がでるし、切ってやらないと枝が込み入りすぎて風通しが悪くなって、とくに夏場に蒸れたりするので、積極的に剪定する。
樹形も保てるし。
今日の題名、サクラ切るバカ、ウメ切らぬバカは僕が勝手に言ってるんじゃぁなくて、植木屋界の金言なのですな。
2008年2月13日水曜日
~ バジル Cimum basilicum ~
ラジオ局のイベントで古着を寄付したところ、ポケットティッシュのような バジル栽培キット を貰った。
その名も 「バジル プチガーデン」。
1月28日
説明書にしたがって種をまいてみる。
種は20~30粒。透明の袋に入っているゴマのようなやつが種。
ポケットティッシュのような袋の中には、土ではないがなにやら育てるための「土壌」めいたものが入っていて、そこに水を注ぐとモコモコって膨らんで、そこに種をまく。
子供のときに熱中した、学研の科学と学習のふろくを思い出す。
ホントにこんなもので、バジルが育つものかと疑問を胸に写真を撮る。
2月4日 (8日目)
なにやら芽が出てきた。
青白くて、もやしのやうである。
2月8日(12日目)
生命力とは凄いものである。
ちょっと目を離したスキにご覧の通り、バジルの豊島園プール状態である。
2月13日 (17日目)
間引きを敢行し、豊島園からプリンスホテルのプール並みの快適な環境にしてやった。
こんなもやしのような、若いバジルでも、バジルはバジル。間引きのときに手に付いたニオイは立派なバジルのそれだった。
写真で分かるかと思うけど、葉っぱが皆太陽の方を向いている。
日の光に飢えているのね。
そんな訳で、収穫までの道のりはまだまだ遠いが、気を長くして育ててみようかと思っている。
収穫の際には、やはりモッツアレラとトマトでも買ってきてサラダにしよう。
まだかな、まだかなぁ~
2008年2月12日火曜日
昔、渡哲也が歌っていました、「くちなしの花」。
これはクシナシの花ではなくてクチナシの実。
庭の手入れに行ったりすると、たまに見かける。
このオレンジ色の実を潰すと手がオレンジ色に染まる。
そう、もともとは染料として使われていたようで、庭の手入れのゴミとしてでたクチナシの実を「下さい」といって貰っていった人もいた。
聞くと、たくあんのあの色もこのクチナシからきているそうな。
花は6~7月ころに咲くのだけど
学名の jasminoides はジャスミンのような芳香からきているのだろう。
果実を見て、6本の王冠のように飛び出した部分は花が咲いていたときの「ガク」だ。
え?本当にそうかって?
では、本人に聞いてみましょう。
「・・・・・・・」
クチナシに口なし・・・・。
2008年2月11日月曜日
まず葉っぱから語らねばなるまい。
この葉っぱは、シイ(Castanopsis cuspidata)の葉。
公園にはえていた結構な大木で、その葉っぱを見ていたら季節はずれのセミの抜け殻を発見した。
鏡で映したかのように仲良く対になっていた。(やらせじゃぁありませんよ)
見つけたときは、タマゴを割って黄身がふたつ出てきたような興奮を覚えた。
恋人同士か? だったら横に並ぶか。
ならば恋敵で顔も見たくないってことか? はたまたストーカー・ゼミか??などと勝手な想像をしてみる。
土の中に何年もいて、地上に出てきたらバリバリっと背中が割れて飛び出す・・・。
ヨクヨク考えると、スゲー生き物ですね。かなりSFチック。
因みにセミはイギリスではお目に掛かったことがなく、英語で cicada というなんてのはつい最近知ったこと。
植物とムシというのはある意味切っても切れない関係にあって、その辺は追々このブログでも触れていこうと思っています。植物あるところにムシあり。そこに小いながらも生態系があったりして、と話は延々と続くのです。
この連休は雪が降ったりと寒いけど、こうやって季節はずれのセミなんか見ると、暑い暑いといっていたのがつい昨日のようだし、暑い夏もすぐにやってくる。
いまの内に「寒さ」を満喫すべし。
2008年2月9日土曜日
2008年2月8日金曜日
2008年2月5日火曜日
これはなんと呼ぶのだろう。
虫眼鏡?ルーペ?
英語では確か hand lens と言っていた気がする。
とにかく、お小遣いが余っていたらコレ、あるいはバレンタインデーに彼氏にチョコレートだけでは物足りないと感じている方にコレ、である。
コイツはは小さくていつでも携帯できて、そこら中のものを片っ端から拡大して見れるのだ。
その倍率ナント12倍。小さな巨人的高性能である。
スバラシイ。
花の雄しべが花弁にどうやって付いているのか?なんて植物学的、アカデミックな使い方も出来るし、一万円札を取り出して福沢諭吉のシワの数を数えるなんて芸当も可能。
実際、ぼくはしばらくの間、自分の手の毛穴を細かく観察していた。
初めてこれを持って街に出た日には、今にも木に抱きつきそうな勢いで木の幹肌を観察して、一緒にいた友人に他人のフリをされたものだ。
男子たるもの一度は憧れていた「ミクロの世界」をホンのちょっと現実のものとしてくれる夢の品で、身近な植物の新たな一面を発見することができる。
まさに植物愛好者のマスト・アイティム。
これをポケットに忍ばせる遊びゴコロを持ちたいものだ。
おひとついかが?
2008年2月4日月曜日
チューリップ、最終章。
チューリップ(2)をアップしたところでメールを頂戴しました。
「チューリップの花びらのすぐ下の茎のところに針で穴をチクチクあけると、花がヘニャリとせず、ピンとしたままになる と、聞きました。何故でしょう?」
スルドイご指摘です。
実はロンドンに住んでいたときの大家のおばさんも、彼女のおばあさんから教わったといって全く同様のことを実践していたのを思い出したからです。
そのときはフーンと聞き流してしまって、「ナゼ?」とも思いもせず。
で、今回ちょっと調べてみますと、諸説あるようですがどうやら穴を茎に開けることで
「浸透圧により水を吸い上げやすくなるのでシャンとなる」
「成長のスピードをゆるめる=花期が長くなる」
ということのようですが定かではありません。ぼくはてっきりおばちゃんがおまじないで穴を開けているのかな、程度にしか思ってませんでした。
で、チューリップについて書き忘れていたことがひとつ。
チューリップは切花であっても、成長が旺盛で花が開いたり閉じたりする。
これは、花びらの表と裏の細胞の成長に適した温度が違うからで、例えば8~15℃くらいでは花びらの外側が成長するので花が閉じ、17~25℃くらいになると花びらの内側が成長するので花が開くというわけ。
暖かいときに花が開けば花粉を運んでくれるハチなどの活動が活発になるタイミングとシンクロするという、すごく合理的な自然のしくみには驚かされてしまう。
でも成長を終えると写真のように花びら全開で閉じることなく朽ちていく。
いと悲し。
牛丼屋における植物学的考察
牛丼屋はその味もさることながら、コストパフォーマンスの良さに魅かれてちょくちょく行く。
それと植物とどう関係があるのか?
やや無理やりではあるけど、ここは敢えて「七味」と「紅しょうが」にスポットライトをあてたい。
僕はもともと紅しょうがはすすんで食べるほどの趣味はないのだけれど、周りを観察するとてんこ盛りに紅しょうがをのせている人を見かけたりするたびに 「オトナだなぁー」と感心してしまう。
せっせと盛っているのを見かけると
「おーっと、まだいっています。まだまだいきます。このままだと店内の紅しょうがの在庫が危ぶまれます」
などと心の中で実況してしまう。
紅しょうがほどではないけれど、もうひとつの影の主役は「七味」ではなかろうか。
ぼくはむしろ七味派で、それこそ周りがあきれるほど振りかける。
その七つの味の構成物は?と調べてみると
- 陳皮 (ミカンの皮)
- ケシの実
- サンショウ
- ゴマ
- 麻の実
- シソ
- 青海苔
- ショウガ
- ナタネ
などが入っているらしい。
全部植物である。青海苔は海草であるけど光合成を行う立派な植物。
一番大きい丸いのは麻の実で、大麻の種とも呼ばれ、これが育つと・・・。
そんなハラハラするようなものがこの昼時の平和な牛丼屋にあるなんて思うとどんぶりを持つ手にも汗をかくでしょ。 かかないか。
牛丼屋で人間観察をしていると飽きることがないのだけど、この前出合った強烈な若者について最後に。
彼は右手にお箸、左手に携帯電話を握り締め、どんぶりを手で持ち上げることもせず「イヌ食い」していた。視線は常に携帯に向けられ、しきりにボタンを操作している。
「何だ、コイツは?彼女にメールでも打ってるのか?」と、彼をそこまで夢中にさせるものが何なのか知りたくて、チョイと覗き込んだ。
ゲームだった・・・。
そんな食事の間も携帯電話のゲームを中断できないという病的な若者を見て日本の将来がちょっと不安になった。
2008年2月3日日曜日
雪が降って外にも出れず、ヒマだったので、という訳ではないけれど、くたびれたチューリップを分解してみた。
ご覧のとおり、花びらが6枚、雄しべが6本、雌しべが1本という結果。
実はこの花びら6枚というのはクセ者で、通常、花は「がく」があって、「花びら(花弁)」があるのだけど、このチューリップのようにどれががく(sepal)で、どれが花びら(petal)なのか区別が難しい場合、それをまとめて花被片(tepal)と言ったりする。
カッコの中の横文字はそれぞれを英語で表しているのだけど、一度口に出して発音していただきたい。
「セパル」と「ペタル」、区別がつきにくいときはまとめて「テパル」・・・・。
どれもこれも似ていやがって、キーッとなる。
慣れるまでエラく苦労したのを思い出す。
さて、この分解写真を見て何かお気付きでしょうか?
花被片=6枚
雄しべ=6本
と「3」の倍数分のモノが揃っている。
じゃあ雌しべはどうなのよ?
雌しべを輪切りにしてみましたのが下の写真。
子房という種が育つ部屋があり、その中に種の元になる胚珠が3対あるのが見える。
この3の倍数の法則は、チューリップのような単子葉(種をまいて一番最初に出てくる葉っぱが2枚ではなくて1枚)の球根類の植物に共通する特徴なのです。
そうやってみると、スイセン、ヒヤシンスなどそうなっている。
花屋さんに行ったときに花びらの数を数えてみよう。
この法則を体得すれば、花占いで「好き、嫌い、好き、嫌い・・・・」とやるとき「嫌い」から始めればハッピーエンドはもう間違いナシ!!