この前、ボタニカルアートなるものを体験した。
実は英国にいたときにボタニカルアート教室に通っていた時期があって生まれて初めてって訳ではなかった。
そのとき、真剣に植物を描いて出来上がった作品に満足し、
「俺って天才なのではっ??」
などと興奮したものだが、先生からはあれこれとダメ出しをされてしまって、ガックリしてしまった。
やってもやっても褒められることはなく
「ボタニカルアートは自分には向いていない」という結論に達した。
実はボタニカルアートに対する根本的な理解が伴っていなかったことによる悲劇であったと今は思う。
つまり、当時は植物の絵を写実的にキレイ描けば良いんでしょ、
位にしか思っていなかったのだ。
しかし本来のボタニカルアートとは、その昔カメラがまだない頃に貴重な植物の外観をありのまま伝えるために描かれたものであり、加えて植物分類学の見地からも、その絵を使って分類に役立てることができるように、細部に渡る形はもちろん、大きさ、色など全てにおいて生き写しである必要があるのだ。
キレイに描けば良いんでしょ、というのは出だしから方向性を見誤っている。
しかし今回の先生によると、今のボタニカルアートにはふたつの潮流があって、ひとつはキレイに見栄えがする絵、そしてもうひとつはあくまでも目の前にある植物にとことん忠実に描くもの、に分かれてしまっているのだそうだ。
もちろん一般ウケするのは前者である。
後者は完成までにエラく時間も掛かるし、見栄えも比較的地味になる。
一番重要なのは、植物の知識がないとそういう絵は描けないということ。
キレイに描いてオシマイ、というボタニカルアート教室が多い中、きちんと植物学を抑えつつ正確な植物の描写をする教室も数が少ないながらも存在するという。
その日はチューリップを分解して絵を描いた。
チューリップの構造は僕の得意とするところである。
花びらは6枚・・・ではなく、ガクが花びらのように変化していて外花被となり、本来の花びら内花被と併せて6枚となる。
形も良く見ると微妙に異なる。
雄しべは6本。
虫眼鏡で拡大してみると、黒っぽいベルベット状の雄しべの先端は葯といって花粉が詰まっているのが判る。
雌しべはひとつだが、実は子房が3つ合着してひとつのように見える。
・・・といったあたりを汲みながら、黙々と描いた。
サイズだってモノサシを使って正確に表現する。
もう、老眼なんで結構キツい作業だった。
鉛筆で描いただけでは大したことはなかったが、これに水彩絵の具で着色するとやおら見栄えが違った。
色だって適当に塗っているわけではなくて、別の紙にカラーテストをしてホンモノに一番近い色を忠実に再現して、何層にも塗り重ねていく。
仕上がった絵を額に入れたらば、なにやら大そうなアート作品になった気がした。
一番上の写真を見ていただきたい。
どうです?
額の中の2枚の花被と額の外にあるホンモノの花被を比べてみると、写真のせいかあまり見分けがつかないでしょ。
というわけで今話題のボタニカルアートなるものを体験してみましたというご報告まで。
いやー充実感があったなぁ。
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