2011年3月10日木曜日

バケツ・コンテナ
    

ミカンか何かだろうか、立派な柑橘類を街で見掛けた。
   
足元にご注目いただきたい。
これはいわゆるポリバケツというやつで、ゴミなんかを出すときに使ったり、縁日なんかで氷水をはってラムネなどを冷やしているのを見たことがある。
   
でも、植物を育てるための鉢として使われているのはあまり見掛けたことがない。
耐久性の問題もあるだろうし、そもそも底に水抜きのための穴が開いていない。
さらにお世辞にも見た目が良いとは言えない。
   
なんとなく一時的に仮植えしていたらば、いつの間にかスッカリ大きくなってしまって、今更どうにもならない、といったところではないかと思う。
    

でもこうやって見ると 何を植えるか というのはモチロン大切だけど 何に植えるか というのもかなり重要であると分かる。
もし、仮にこの青いポリバケツの代わりにテラコッタの風合いのある鉢に植えてあったとしたらばこの柑橘類の見栄えもグッと違ってくると思う。
   
馬子にも衣装と申しましょうか。
外見はなかなか大事だ。
  
  



2011年3月9日水曜日

ミツマタとジンチョウゲのただならぬ関係


三寒四温とは良く言ったもので明日はまたかなり冷え込むのだそうだ。

こういう寒いような、なんとなく暖かいような、なんともアンニュイな感じが冬と春を分ける今の季節の特徴なのではないだろうか。

この時期に咲くのが今日ご紹介するミツマタであり、ジンチョウゲである。

とくにジンチョウゲは色んなところに植えられているので良く見かけると思う。
花咲ジジイはこのジンチョウゲの香りを嗅ぐとなんとも切ない気持ちになって胸がギューっと締めつけられる。
なんでか良く分からないのだけど、卒業、入学、入社、転勤など、人生の大きな転機のころにこの甘酸っぱい香りがアンニュイな風にのって漂ってくるからかもしれない。

そんな話は毎年この時期に書いている気がするので、また書いているのね と思った方はご容赦いただきたい。

さて、ミツマタという花も今頃咲いている。
何でミツマタかといえば、写真にあるように枝が3つに分枝するから三股でミツマタなんだろう。

ミツマタとジンチョウゲには共通点がある。
それはともにジンチョウゲ科 THYMELAEACEAE であるという点。


花の色は全くことなるが、そういわれてみると花の構造は似ている気がする。
花の香り もお互い強めで主張がある。
ジンチョウゲは馴染みのある方も多いと思うが、ちょっと甘酸っぱい感じ。
それに対してミツマタは例えは良くないけど、トイレの芳香剤のような甘い香りだと思う。
機会があれば是非鼻を近づけてかいでみていただきたい。

さらに花を後ろから見たときの付きかたが似ている。
人間でいうと後頭部の部分を比べてみていただきたい。


ねっ、頭を垂れる感じがなんとも似ているでしょ。

というわけでジンチョウゲとミツマタには切っても切れないただならぬ関係があるのである。
血は争えんなぁ。






2011年3月8日火曜日

雪吊り
    

一昨日は思いがけず春の雪が降った。
   
東京でも年に何回かは雪を見るようになった。
   
雪と植物の関係というのも色々あるが、細かにそれらに言及するスペースもないし、ちょっと退屈なのでひとつだけ。
  
金沢兼六園で有名なのが 雪吊り というもの。
松の枝が雪の重みで折れないように雪が付くのを防ぐ意味と、付いた雪の重みで枝が折れないように支える意味があると思われる。
   
上の写真は東京都内の公園(!)の雪吊りである。
    
東京では雪吊りが必要なほどの積雪はないのだけど、日本庭園の雰囲気を盛り上げるアイティムとして活用されているように思われる。
   
話はそれるが、こんな立派な雪吊りが普通の公園で見られるというのも、東京の公園の底力という気がする。
ちょっとした名園と遜色ない。
水面に写る雪吊りというのもなかなか趣があってヨロシイ。
  
閑話休題。
雪吊りはその本来の機能に加えて日本庭園の冬の風情を醸すためにも作られるということである。
   

街を散歩していたらこんなカワイイ(?)雪吊りを見かけた。
   
都内の一般的な住宅。
門を入ってすぐの狭いスペースに、マキが植わっている。
そのマキに雪吊りが施されているのだ。
   
ちょっとスケールが小さくて、雪吊り本来の威厳のようなものは感じられないが、それでもなんとか日本庭園風の演出をするのに一役買っているのだろう。
  
家のひとからすれば、折角作ったんだから雪が降らないかなぁ と思っていたに違いない。
  
  




2011年3月7日月曜日

タネ拾いの愉しみ
       
昨日の晴天がウソのように、今日の雪交じりの天気はどうしちゃったの、という感じである。   
昨日はぽかぽかとして春を実感できる平和な1日でありました。

花咲ジジイはタネを拾いに出掛けた。
何のタネかというと、カエデのタネだ。

今週、とある団体から講演の依頼をいただいていて、その中で童心にかえってカエデのタネを飛ばしてみようということを考えている。

かなりの人数が集まるときいているので、花咲ジジイがひとりで小さなカエデのタネを飛ばしたところで皆には見えないのではないか、と。
であるならお土産としてカエデのタネを進呈して皆で飛ばしっこしようと思ったわけだ。

カエデだけじゃ面白くないな、他に何かないかな。
そうそうユリノキも良いぞ。

と頭の中でナイスな企画をたてたのは良いが、肝心のタネを拾いにいかねばならない。
10個くらいならなんとでもなる気がするが、100を超えるとなるとかなりの気合が必要だ。

さらに気合だけではタネは集まらない。
落ちている場所を的確に探しあてないと無駄骨ってことになりかねない。
    
伊達に都内くまなく自転車で出没しているわけではない。
  
カエデだったら・・・・、ユリノキだったら・・・・ と見当をつけて出掛けたという訳だ。
    
    
ユリノキは先週のうちになんとか確保できた。
そして昨日がカエデの日だったという訳。
   
カエデは訪問一箇所目にして金鉱を掘り当てた。
一面にカエデの実が落ちていた。
    
ウハウハして這いつくばって夢中で拾いまくった。
    
通り行く人、何人かに 「何があるんですか?」と聞かれた。
タッパーいっぱいに集まったカエデのタネを見ても何をしているのか理解できなかったようだ。
     
雑草むしりもそうだけど、こういう単純作業は我を忘れて没頭してしまう。
大袈裟ではなくて、本当に楽しい。
   
     
拾っている中にはタネから根を出しているものを見つけたりして
ナルホド、カエデはこうやって発芽していくわけだな
なんて発見もあってついつい興奮を覚えてしまう。
   
思ったよりも沢山拾えたので一人2粒くらいは進呈できそうだ。
      
家に帰って、食卓の上に新聞紙を広げてその上で乾燥させて小さなビニール袋に入れれば完成。
   
        
いろいろとやることがあって忙しい日曜日で、のんびりタネ拾いをやっている場合ではない気もしたが、悔いはない。
  
これをお土産としてもらってくれる参加者は喜んでくれるかなぁ。
まぁ自分がこれだけ楽しめたんだからそれで良しとしよう。
   
  

2011年3月6日日曜日

ガーベラ分解
    

花のあるライフスタイルの提言、小さなシアワセ運動を局地的に展開中ではあるが、
活けたばかりの一輪のガーベラを分解してしまった。
   
ひどいことする! と怒らないでいただきたい。
実は近々あるところで植物のしくみについて話す機会があるのだけど、そのための予行練習というか、確認のために一抹の後ろめたさはあったけど、エイヤっ と分解したのだ。
   
ガーベラはキク科であり、その特徴として頭状花序といって小さな花が集まってガーベラの花の姿をつくり出している。
    

まずガーベラを半分に切って断面を見れば小さな花たちがきちんと整列しているのが分かる。
  
さらにそれらには2つの種類があることに気付くだろう。
    

ひとつはガーベラの花びらの部分。
これを舌状花といっている。
こんなに小さいのに、花びら、雄しべ、雌しべ、そしてガクがある。
ガクは冠毛といって、このフワフワした毛の部分である。
   
タンポポもキク科だけど、キク科は実が熟するとこのフワフワの冠毛でもって飛んでいくのが特徴である。
    

もうひとつの種類がガーベラの花の中心の部分。
これを筒状花という。
もっと筒状のハッキリしたものを期待していたのだが、これは小さいな舌状花のようでもあり、なんとも微妙だ。
   
ねっ、理屈どおりにはなっていないでしょ。
だから事前に自分で試してみることが大切なんである。
   
折角買ってきた一輪の花をバラしてしまった。
家人からも まだ咲いていたのに分解しちゃったの? とすこぶる評判が悪かった。
早速明日にでも新しいガーベラを買ってきて活けようと思う。
   
水をこまめに取り替えてやると長持ちするなぁ、とごく当たり前のことをこの2日くらいで実感した。
一輪挿しの水の入替えだったら簡単にできる。
やはり敷居は低ければ低いほうが良い。
このあたりも 小さなシアワセ運動 普及の鍵である気がした。
  

   



2011年3月5日土曜日

ジャガイモの深イイお話
    

突然ですが、ジャガイモは何ですか?
   
えっ、質問の意味が分からないですって。
ごもっとも。
もうちょっと分かりやすく尋ねよう。
   
ジャガイモは根ですか?茎ですか?葉っぱですか?それとも花ですか?
   
この質問は以前花咲ブログでやった気がするが、記憶も定かではないので、あまり気にせずにもう一度問うてみたい。
   
さあ、どうでしょう。
   
これまで寄せられた回答としてダントツなのは 根っこ というもの。
そりゃそうでしょ。
地中にあって、イモなんですから。
  
根菜という言葉もきいたことがあるわ なんていう声も聞こえてくる。
  
正解は茎なんですね。
   
塊茎といって、栄養分を蓄えて太った茎がジャガイモなんであります。
ニンジン、ゴボウ、ダイコンなどの根菜は先端が尖っているでしょ。あれは根です。
   
ジャガイモは丸い。
このあたりも根菜とは一線を画する。
   
で、ジャガイモが茎であるならば、茎からは枝を出して葉をつけるはずである。
茎=細長い棒状 というのは先入観である。
  
ジャガイモは太って丸い形をした茎であるならば、そこから芽(葉)がではずである。
   
そこで着目したいのが、ジャガイモのくぼみ。
このくぼみが気まぐれ的にテキトーにあるのかといえば否である。
   
このくぼみの位置こそ、地上の茎が葉をつける位置とシンクロしているのである。
そして驚くべきは、一見気まぐれ的にランダムにへこんでいるようなくぼみがある一定の規則にしたがってくぼんでるのである。
  
一定の規則とは らせん である。
  
それぞれのくぼみをマジックで結んでみると、なんとそれがらせんを描いていることに気付かされる。
   
ということで、フライドポテトの好きなあなた。
あなたの好きなジャガイモは実は茎だったのだというこの衝撃的な事実。
ご存知でしたでしょうか??
   
   

2011年3月4日金曜日

小さなシアワセ運動
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ちょっと訳があって、近所のお花屋さんでガーベラ Garbera を一輪買った。
すぐに活けるのでそのままでいいです と言って包装もしてもらわないでガーベラを一輪だけそのまま手にして家に戻った。
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100円。
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ビールを飲むグラスに水を入れてガーベラをちょこんと入れてみた。
花を買ったのは久し振りだった。
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花がなくても我々は死ぬこともないし、困ることもない。
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でも花があると、なんか和んだり、華やいだりするものである。
たった一輪のガーベラなのに殺風景な部屋が、なんとなくステキな部屋になったような気がした。
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有名な バラが咲いた という歌がある。
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バラが咲いた バラが咲いた
真っ赤なバラが
淋しかった僕の庭にバラが咲いた
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たったひとつ咲いたバラ
小さなバラで
寂しかった僕の庭が明るくなった
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たった一輪でも雰囲気を明るくしたり、気持ちをアゲてくれるのが花なのではないか。
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普段、花を飾る趣味はなくても、イザこうやって一輪の花が部屋にあるだけでなんとも
豊かな気持ちに包まれるのは不思議だ。
確かに心のどこかが気持ち良い。
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たった100円で、こんな気持ちになれるなんてお値打ちものである。
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花束だと花ひとつひとつを愛しむというより、まさに束として認識するので面白くないかもしれない。面倒をみるのも大変そうだし高価な感じもする。
むしろかえって一輪だけ飾るというのは、花の本質に目を向ける機会にもなるので良いと思う。
シンプルだし、お金もそれほど掛からない。
萎れたらまた100円で新しい季節の花を買えば良い。
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花のある生活、なかなか良いぞ という実感を込めておススメしたい。
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おススメするには、何かしらタイトルがあったほうが良いので、
名付けて 小さなシアワセ運動 としてこの花咲ブログから局地的に発信していきたい。
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良いな、それ と思われた方、是非お試しを。
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2011年3月3日木曜日

嬉しいはなし
    

昨日の富士神社は富士山に見立てた山の上に神殿があるということで、確かに勾配のきつい階段がそびえている。
俺は男だ の森田健作がうさぎ跳びをしていそうな階段である。
   
鳥居をくぐって振り返ると大きなカヤの木を見下ろすとまではいかないまでも、結構な高さに来たと分かる。
   
階段の脇には真っ赤な実をたわわにつけたピラカンサ Pyracantha angustifolia が青空と絶妙なコントラストを醸していた。
   
さて、一通のメールを頂戴してちょっと嬉しく、そして感激してしまった。
その方は花咲ブログを読んでいて、京都府立植物園に行きたくなって東京から京都までわざわざ出掛けて、花咲ブログで取り上げた幾つかの植物を実際に見てきたのだという。
   
えっ、それだけのためにわざわざ京都まで行ったんですか?? と驚くやら申し訳ないような気持ちになってしまった。
園内を歩いていて、ようやくラクウショウを見つけたのだそうだ。
  
花咲ブログで書いてあったラクウショウはどこかな、といって探してくれたのかと思うと感激である。
  
基本的に花咲ブログはノンフィクションで全て事実に基づいて書いているので現場を見たければそれは実在するのだけど、そうやってわざわざ新幹線にのってまでという方は初めてだ。
有難うございます。
   
以前 花咲ブログを最近知ったのだけど過去のブログを読むためにすべてハードコピーしました とおっしゃった方がいて、そのときもエラく感激したことを覚えている。
   
熱心に読んで下さっている方のためにもいい加減なことは書けないなぁ。
  
皆様本当に有難うございます。
  
  



2011年3月2日水曜日

霊験あらたか富士神社
    
すごい神社を見つけた。
東京都文京区にある富士神社。
   
丁度、六義園のちかくにある神社で、
本郷村の名主が天保元年(1573年)に駿河の富士浅間神社を歓請したことにはじまる。
拝殿は富士山に見立てた山の上にあり、江戸期の富士信仰の拠点のひとつとなった。
   
なにがすごいのかというと、境内にある木々が素晴らしいのだ。
とにかくデカイ。
勇壮で、美しい。
   
大きなマテバシイやら、クスノキなんかもあったが、なんといっても目を引くのは一番背が高い   
カヤ Torreya nucifera である。
樹高も30メートルくらいはあると思う。
   
なかなかこんなに立派なカヤを見ることはできない。
    
これぞご神木といった感じで堂々とした注連縄(しめなわ)をドーンと巻いている。
   
気付いたのだけど、神社という場所は古木、大木に出会えるチャンスがかなり高い場所であると思われる。
敷地も広いので、お隣からクレームがきて、伐採してくれなんて言われることもないだろうし、ノビノビと育っているのである。
家などの建物の建て替えや、相続などによる土地に売却にともなう区画整理なんかにも比較的巻き込まれることもないので、ン百年という樹齢を誇る樹が普通に存在する。
   
そしてそれらが、ご神木として崇め奉られているというわけだ。
   
これまでも花咲ブログでは浅草寺、善福寺、氷川神社、靖国神社、明治神宮などさまざまなお寺、神社の素晴らしい木々をご紹介してきた。
   
これからも我々を魅了してやまない大木、ご神木をレポートしていきたい。
   
どこかの出版社から ご神木というタイトルで写真集的エッセーを出しませんか なんて言ってこないかなぁ
ご神木を巡って全国行脚しちゃうんだけどなぁ
  
   



2011年3月1日火曜日

ヤドリギいろいろ
    
昨日は大きな落葉樹の上に育ったシュロについて書いた。
    
今日の話もちょっと似ているかも。
    
とにかく落葉樹は冬場にはスッカリと葉を落としてしまう。
それをつまらないとボヤく向きもいるかと思うが、本来の枝振りや樹形がどうなっているか分かるので面白いというのはこの前書いたとおり。
    
そうやって注意深く見ていると昨日のシュロのようにいろんなものが見えてくる。
   
今日ご紹介するのはヤドリギである。
   
ヤドリギについては花咲ブログで2008年12月27日~29日の3日間、熱く熱く語ったので詳細はそちらをご参照いただきたい。
   
簡単にご紹介すると、ヤドリギは主に落葉樹に寄生する常緑の植物である。
正確に言うと常緑樹に寄生するものもあるし、ヤドリギ自身が落葉するものもある。
さらに言えば寄生とはいっても自ら光合成を行うので半寄生である。
他にも雌雄異株だとか、こだわればキリがないが、一応そんな変わった植物なのである。
    
晴れた日、青空の下、茶色い枝の中に何やら緑色の塊を見つけた。
ヤドリギに違いない。
キョロキョロしてみるもんである。
    
花咲ジジイはこのヤドリギを見つけたときにかなりの興奮を覚えた。
それは何故かといえば、そのホウキがぶら下がったような形が変わっていたからだ。
   
花咲ジジイの知るヤドリギ(Viscum album)はほぼ完全な球形をしている。
しかしこれは、ご覧のようにダラリと垂れ下がっている。
   
是非間近に見たい。
そう思っても10メートルくらいある背の高い落葉樹の上の方にあって無理だ。
   
よじ登ったら通報されるのは間違いない。
   
くっそー、なんだこのヤドリギは。
  
ひょっとするとスゴイ発見なのかもしれないではないか。
  
地団駄踏みながら歯軋りすることくらいしかできなかった。
  
   



2011年2月28日月曜日

やどかり人生
    
昨日は春本番を思わせる陽気で、今日はみぞれが降ったりして 三寒四温 を地でいくめまぐるしい天気だ。
体調管理にはお気をつけください。
   
さて今日の話は大きな落葉樹の脇を通ったときのことだ。
   
いつものように上を見上げたり、足元を観察したり、キョロキョロしながら歩いていた。
そしてその大きな落葉樹を見上げていて、あることに気付いたのだ。
   
!!
   
大きな落葉樹の幹が分かれているあたりに、なにやら緑色の葉っぱらしきものを発見したのだ。
落葉樹ってことは冬になると葉を落として枝ばかりの殺風景な姿になるはずなのに、あの部分には緑があるではないか。
    
オカシイ。
   
目を凝らしてよく見ると、それはシュロ Trachycarpus fortunei であった。
   
大きな落葉樹の枝分かれしたところにホコリのように土が溜まって、雨水を蓄えるなどして植物が育つ環境があったのだろう。
そこに鳥がタネを運んできて、このようなことになったのだと思う。
   
鳥は植物の実をタネごと食べて、自由に飛んでいく。
そして飛んでいった先で糞をする。
果肉部分は消化されるが、タネは硬くて丈夫なので鳥の強烈な胃酸にも負けずに、そのまんまの姿で鳥の消化器官を通過して糞とともに体外へ出されるのだ。
  
こうやって植物たちは旅をする。
    
このシュロは旅の終着点としてこの落葉樹の上を選んだ(?)のだ。
   
このくらいのサイズならまだ良いが、シュロもそこそこ大きくなる。
今後この落葉樹とシュロの運命はどうなるのだろう。
   
なんかドラマッチックだなぁ。
  
  



2011年2月27日日曜日

くだもの vs やさい
    

今日は暖かかった。
もうこのまま春になるのかというような陽気だった。
   
花もぼちぼち咲いているし、花が咲かずとも つぼみ がパンパンに膨らんでいるものも沢山ある。
   
一方でまだまだ冬景色というものもかなりある。
   
この前見たのはバショウ Musa basjoo という、バナナの親戚。
バショウはバショウ科の多年草だ。
   
多年草・・・・。
えっ、草なの?木じゃないの、こんなに大きくて。
   
なんて声が聞こえてきそうだけど、たしかにバショウは多年草なんであります。
多年草というのは、毎年冬になると地上から上の部分は枯れてしまって、春になるとまた新たに芽吹くというのが基本だ。
確かにこうやって見ると倒れてはいないものの、地上に見える部分はすっかり茶色く枯れ込んでいる。
 

ひるがえって樹木というのは、冬も枯れることがなく、茎というか幹に形成層という部分があって細胞分裂を盛んにして年々大きくなっていく。
    
バショウ(バナナ)の幹は瑞々しくて柔らかく、樹木のような硬さはない。年輪も無い。
そして毎年枯れては、翌春にまた新たに芽吹くということからも草(草本)であるといえる。
    
そこで面白いのが バナナは野菜か果物か? という議論。
バナナは野菜である という意見が一般的だ。
   
なぜなら野菜と果物の定義にその根拠がある。
   
農林水産省によれば、野菜と果物の違いは定かではない としながらも
野菜は
 1田畑に栽培されている
 2副食物である
 3加工を前提としない
 4草本である
としている (農林水産省 消費者相談)。
   
4番の野菜は草本である という部分がバナナは野菜である という根拠となっている。
これによれば、スイカもメロンも野菜ということになるわけだ。
    
バナナは草である。
バナナは野菜である。
   
なーんかとっても大胆な発言のようだが実際そんなことになっている。
  
  




2011年2月26日土曜日

世界らん展 潜入記
     
今日はアルファブロガーであるアレックスさん にお誘いいただいて東京ドームで開催されている世界らん展に出掛けてきた。
   
生まれて初めて出掛けたイベントなのだが、これがビックリすることが沢山あった。
    
いわゆるフラワーショウ、ガーデンショウとはまったく異なる独特の雰囲気が充満していた。
それは来場者の様子だったり、ディスプレイの仕方だったり、色んな意味で独特だった。
例えばこういう和装のご婦人方が闊歩しているあたりは他のイベントではなかなか見ることがないと思う。
  
ラン愛好家というのは間違いなく存在していて、かなりコアでディープな世界だと感じた。
その世界独特の流儀があって、それらがなんとも興味深かった。
    
世界らん展日本対象に輝いたのがこの大きな大きなランの塊りである。
これは セロジネ・クリスタータ・ホロレウカ・ピュアホワイト というものらしいが、とにかくそのサイズに圧倒された。
直径が2メートルくらいある。
これを育てたのもすごいが、これを置く場所があるというのはもっとスゴイ気がする。
因みに大賞の副賞がメルセデスベンツでありますから、かなり予算の潤沢なイベントであると想像できる。   
   
とあるブースでは10万円なんて札が平気でついているランがあったりして、これはもう日常の花とは全く別の世界の花という感じだ。
見ると怪我をした犬が患部を噛まないように首のまわりに巻くパラボラアンテナのようなものを巻いていた。
高価なものだけに細心の注意が必要なのだろう、たぶん。
    
さらに進むと、ランの花びらにペイントか何かの加工がしてあって、模様が描かれていた。
もう自然の植物を愛でるというよりも、豪華で見栄えのすることが第一優先順位にあるようにみえる。
   
極めつけはこのランの雛飾り。
桃の節句も近いのでランをつかってひな祭りを表現しようということなのだろうが、着物をまとった雛人形の頭の部分がランの花になっているという発想はものすごくエキセントリックだ。
   
   
カワイイ雛人形というよりも、かなりホラーな怖い感じがするのは花咲ジジイだけだろうか。
  
短い時間だったけど、普段見ることのない植物の新たな一面を見た気がした。