人間のエゴか、シアワセか
昨日、さる方と話をしていたら
「品種改良などで、より甘い果物を作ったりするのは、オカシイ。果物の甘さはこんなものだ、という控えめな甘さの中に本来果物が持っている味わいがあるはずではないのか。濃い味を品種改良でつくっていくうちに我々の味覚はどんどん失われていってしまうのではないか?」
というハッとさせられる話がでた。
より柔らかい、食べやすい穀物によって我々のあごの形は千年前のそれとは既に大きく異なるというのは周知の事実である。
品種改良によって我々はより「豊か」な生活を享受してきたようであるが、この辺でちょっと考え直す時期に来ているのかもしれない。
「青いバラ」というものを、さる酒造メーカーが遺伝子組換え によって作り出した。
青いバラはバラの育種家たちにとって永年の夢であったが、誰もそれをなしえなかった。
その理由は、バラは青い色を作り出す色素を含んでいなかったからで、ないもの同志を幾ら掛け合わせても、青いバラはできるはずがない。
そこで遺伝子組換えという発想の転換で青いバラを作り出して、世間の注目を浴びた。
「素晴らしい!永年の夢を叶えた」と。
しかし、そうだろうか?
青いバラがないと誰かの命が救えない、というのであればそれは一生懸命やる意味がある。
が、青いバラは鑑賞するだけだ。珍しさから売れるだろう。そこで誰かがそろばんをはじく。
神様がこの世の中に青いバラは必要がないということで、この世は青いバラがないようにデザインされていたのかもしれない。
それを、遺伝子組換えでムリムリ作り出す。因みに青いバラと騒いでいるバラはまだまだ藤色っぽいのもので本当に青いかといえばやや疑問が残る。
人間とは自然の摂理を曲げるおこがましさをどこかに持っているように思えてしまうのだ。
そんなことを考えて昨晩床についた。
そして今朝。
産経新聞の2面に「九州のナシに眠り症」という記事があった。
要約すると、
「温暖化の影響で冬に十分気温が下がらなくなった結果、ナシの花が咲かなくなり、実ができなくなった。本来8月頃1キロ350円くらいで出回るのに先駆けて、九州ではハウス栽培で6月に1キロ1000円で市場に出していたのだが、温暖化のせいで大打撃だ。」
というような内容だった。
「そうか、それは困った。やはりCO2は削減せねば。」と思う人もいると思うが、昨日の会話が頭にあった僕は
「ナシは季節どおり8月に食えばよろしい。6月に食うから余計な金を払わねばならなくなる。季節の旬の野菜や果物を食べるから季節を感じるのであって、ハウスものが主流になったら日本人の季節感がメチャクチャになってしまうゾ。そもそもハウスを暖めるために化石燃料を燃やしたら、さらにCO2を排出し自らの首を更に絞めることになるのではないだろうか?」
朝食のトーストをかじりながらそんなことを考えていた。
今日の一枚は某政党のポスター。
打倒CO2とうたってある。
CO2を増やす行為を減らすことが本来の目的であって、「打倒」ってちょっと違うような気がしてしまったのだが、まぁあまり細かいことは野暮というものだろうか。