2015年3月31日火曜日

ピンク?ブルー?


明日からの天気予報を勘案すると、どうやら今日がサクラを愛でるベストデーだったと思われる。

花の命は短い。

このはかなさがサクラ人気そのものなんだと思う。

川面には早くもピンク色の花筏が。



それにしてもおびただしい花びらの数である。

スゴイねぇ。


乗ったことはないけど、この時期にヘリコプターに乗って遊覧したら東京はやはり淡いピンク色に染まっているんだろうな。

それとも花見のブルーシートの青色に染まっているのだろうか。

いつも思うことだけど、ブルーシートってなんでブルーなんだろう。

ブルーシートだからか。

なら、なんでシートはブルーなんだろうか?

あの色は本当にセンスがないと思う。

工事現場ならまだしも、ピクニックなどでは色が浮いてしまって台無しだよ。

イカすレジャーシートをデザイナーの方にはお願いしたいと思う。



2015年3月30日月曜日

サクラ満開、春爛漫


東京のサクラは満開宣言が出たとのこと。

まさに今が見ごろなんでしょう。

なので今日はお昼休みにカメラをもってブラブラと近所を散歩しました。

汗ばむほどの陽気。

サクラはもちろんだけど、脇役たち、たとえばハナニラ、レンギョウ、ハコベ、オオイヌノフグリ、カラスノエンドウなんかも咲き乱れていたし、ちょっと盛りを過ぎたジンチョウゲなんかも負けじと芳香を放っていた。

まさに春爛漫。

聞けば、今週はこれから天気下り坂なんだそうで、シッカリと花を愛でるのは明日がラストチャンスなのかもしれない。

花を愛でる=酒を飲む
と勘違いしている貴兄も多いことかと思うが、やはり「花見とはなんぞや?」と自問して花と向かい合っていただきたいものだと毎年思う。

花そっちのけで、乱れている人を見るに見苦しいと辟易してしまう。

花なんかいらないじゃないか、と。

僕も酒は好きだけど、ここにはシッカリと一線引くようにしている。

まぁ楽しみ方は人そぞれ。
他人に迷惑の掛からない範囲でほどほどに楽しんでいただきたい。

2015年3月29日日曜日

お花見ウィーク


土曜日は所用があって飯田橋、神楽坂へ。

お堀沿いのサクラも5分咲きくらいだったでしょうか。

名物カフェ、カナルカフェの前には長蛇の列が・・・
100メートルくらい並んでいたかなぁ。

確かにこの陽気でサクラを見ながらゆったりしたいというのは分かるんだけど、この列に加わるか、といえばちょっとねぇ~。

世の中これだけサクラがたくさん植わっているので、どこか人知れずゆったり、のんびりお花見ができる場所はあるはず。

そんな隠れスポットを探してみたいものです。

今週が恐らくは見ごろ。

お花見狂騒曲があちこちで聞かれそうです。


2015年3月28日土曜日

京都へ


言い訳がましくなってしまいますが、昨日のブログはサボったわけではありません。

昨日はキューガーデン時代の友人夫妻が京都に滞在中とのことで日帰りで会いにいってきました。

帰りの新幹線でブログの更新をしようかなと思ったら、ポケットwifiの電池が切れてしまいネットから遮断されてしまい手も足もでなくなってしまいました。

ホント。

帰宅したのはすでに日付が変わっていましたので、いさぎよく諦めて今日のアップとなりました。

サクラのちょっと手前のシーズンとはいえ、京都は人であふれていました。

特に外国人観光客に席捲されていたように思います。

特に中国の人たち。

見た目はアジアなので、日本人なのかなと思うんだけど、発する言葉がまったく異なるのでギョッとするという場面がシバシバ。

苔寺も事前予約していきましたが、般若心経の読経に参加した人の半分以上は外国人だったと思われました。

苔寺は生まれて初めていきましたが、その名の通り苔むしていて独特の雰囲気がとても印象的でありました。



その後は嵐山近辺をしばし散策。

渡月橋を渡り、天龍寺へ。


日帰りなので、あまりゆっくりも出来ませんでしたが、久し振りに京都の雰囲気に触れてリフレッシュした気がします。

都内のサクラもこの陽気に誘われてあれよあれよの五分咲きくらいでしょうか。

良い季節になったものです。



2015年3月26日木曜日

冒険心


先日、写真を整理していたときのこと。

イスラエルに行ったときに写真がいくつか出てきて思わず見入ってしまった。

イスラエルのエルサレム植物園に、キューガーデンから交換留学生に選ばれて約1ヶ月イスラエルにいた。

休日にはレンタカーで友人とイスラエル国内を植物を探して巡った。

相棒が無類の植物好きで、彼に便乗して着いて行ったというほうが正しいかな。

イスラエルの南はエジプトと国境を分かつのだけど、そこは砂漠地帯となっている。

ここに自生するチューリップを見るために1泊2日で出かけたのだった。

こんな不毛の地にチューリップなんてあるのか、最初は半信半疑だったが、相棒の自信に満ちた案内でようやく見つけることができた。

でも残念ながら開花前のつぼみの状態のチューリップ。



普段花壇で可愛らしく咲いているチューリップしかしらなかったので、野生のチューリップがこんなに厳しい環境で元気に暮らしているのを目の当たりにして、いささかショックを受けた。

そしてあの頃は、こうやって巡りあえるかどうかも定かでないチューリップのために車を借りて、泊りがけで砂漠に繰り出す冒険心と好奇心が自分のなかにはあったんだなぁ。

最近はどうだろうか?

なんだか小さくまとまってしまっているんではないかなぁなどと気づかされた写真でありました。



2015年3月24日火曜日

もっと花を・・・


最近、花をいつ買いましたか?

一年間にお花を買うのにいくら使いますか?

こんな問いに、ハキハキと答えられる人の方が珍しいのかもしれない。

なので花卉業界としては、花を買ってもらえるようにあれこれと工夫している。

でも母の日などのイベントに頼らざるを得ないのも事実。

なんとか、普通の人の日常に花のある暮らしが根付くことになれば良いのにね。

花を買うときの障壁(ネック)はなんだろう?

もちろん鉢花と切花では違うと思うけど、切花だったら。

切花であれば、育てる難しさは関係なさそうだ。

値段?もち?

もち、とは買った花がどれくらいの期間もつのかという「花もち」のこと。

そりゃ根もないわけだし、早晩枯れてしまうよね。

でも花を飾りたいと思えるような気持ちがもてるかが問題なのだ。

枯れてしまうと分かっているようなものにお金を払うのは無駄だ、という実利主義というか現実主義を振りかざされてしまってはグウのねもでない。

良いじゃないの枯れたって、そのためのお金は惜しまないよ、という「上級者」をいきなり目指すのもやや酷だろう。

まずはお手ごろ価格から始めてみては?

この前見かけた花屋さんでは「ワンコインマーケット」という売り方をしていた。



手ごろな価格のために花束、アレンジメント、ラッピングはしないという自宅向けのサービス。
こういうの良いんじゃない?

ただ、1本100円ってそれほど珍しくないと思うんだけど・・・。

ただ普段から花の値段を知っている人は別として、そうでない人に向けては「限定」とか「ワンコイン」なんていうのは足を止めて手を伸ばすキッカケにはなると思う。

いずれにしても、花のある暮らしを多くの人が楽しむそんな時代がくると良いなと思う。


2015年3月23日月曜日

仙台

2015年3月

2014年2月

昨日は講演の仕事で日帰り仙台出張でした。

仙台へは一年ぶり。

昨年は2月でしたが、折からのドカ雪で交通網は麻痺し、東京から仙台へ行き着けるか、行き着けないか。

さらには無事に帰京できるか、できないか。

そんな緊張感のある印象深い一日でした。

講演会場である仙台市民会館への最寄駅「匂当台公園駅」から歩けなくてタクシーに乗ったほど。

昨日はうってかわっての快晴。

匂当台駅から気持ちよく歩きました。

かの国分町も途中にあったのか、と発見したりして天気が違えばこんなに違うのねといったところ。

上の2枚の写真を見てください。

上が昨日、下が昨年。

ほぼ同じ場所の写真ですが、こんなに違うんですねぇ。

東京ではモクレンなどがすでに開花していますが、仙台のモクレンはまだ綿毛に包まれたままでした。

同じ日本でも微妙に違うものですね。

東京のサクラも開花宣言が出されたそうで。

もう後戻りならない春の訪れです。



2015年3月22日日曜日

難問?


昨日の問題考えてみましたか?

僕も一応考えてみたけど、なかなか難しい。

とくに「自然のしくみを利用して・・・」ってところ。

天敵とか異常気象とか、シカが苦手なところを突くのではないかなとは思うけど。

答えはどうなんだろうと思って、ちょっとズルいけどこの塾のHPをのぞいてみたけど、残念ながらまだ正解は掲載されていなかった。

ということはまだ考える時間があるということ。

なかなか奥深そうなので、しばし一緒に考えてみませんか。

電車のなかでボーっとしているときなどにはうってつけの思考問題であります。

因みにこれは中学受験の塾の広告なので、小学6年生がこれを正解するという世界なのだ。

そのへんも念頭に6年生に負けないように考えてみたいものです。

2015年3月21日土曜日

シカクいアタマをマルくする。



昨日は地下鉄の車内の広告で「漁業」について書いてみた。

その並びに、ご存知「日能研」の広告が出ていた。

この日能研の広告は、電車にのった僅かな間に楽しめる頭の体操的なところがあって結構好きなんだよなぁ。

で、今回のお題は以下のようなもの。

日本の森林では、シカが増加したことで樹木への食害がおこっています。
そこで、人間はシカをとらえて個体数を減らそうとしていますが、人手不足などによって十分な対策がとられていません。

自然のしくみを利用して、シカの増加を防ぐために考えられる方法は何ですか。

どうです?

かなり深いよ、これは。

連休なので、是非お休みの間の楽しみとして考えてみてください。

僕も考えてみます。



2015年3月20日金曜日

心を奪われないように注意


明日は春分の日。

お休みですねぇ。

何か楽しい予定はありますか?

ここ数日お伝えしてきたのは農林水産省で見かけたポスターのお話。

農林水産とは、いうまでもなく農業、林業、水産業(漁業)をさしているのだと思われる。

花咲ブログの守備範囲としては農業、そして林業までかと思うが、せっかくなので水産業も応援したい。

たとえば昆布やワカメなどは、広い意味で植物にもなるわけだし。

このポスターは農林水産省ではなくて、地下鉄の車内広告として見かけたもの。

以前これの林業バージョンをご紹介したと思う。

これは明日3月21日に東京の半蔵門にて行われる水産業就業支援イベント。

迂闊にこんなところに足を運んで心を奪われたのでは、人生設計が狂ってしまうのであえて行かない。

若い人には色んな人生の道があるよ、と声を大にして言いたいなぁ。

どうぞ楽しい連休を。

2015年3月19日木曜日

やろう間伐! 使おう間伐材!


昨日行った農林水産省で映画Wood Job! のポスターがあったと書いたけど、それ以外にも興味深いポスターがあった。

例えばこれ。

やろう間伐!使おう間伐材!

間伐とは、樹木の成長に伴って混みすぎた林の立木を一部抜き伐るすることをいう。(林野庁HPより)

樹木の成長とともに葉も生い茂り、木と木の間隔もつまってしまい、混みすぎるという現象がおきる。

そうすると太陽光が木々の根元部分(林床)にまで届かなくて、下草などもまったく育たなくなってしまう。

いわばハゲた土地になってしまい、雨などで土壌が流されたりする。

さらには木々も太陽の光、水分、養分などを奪い合い、もやしのようにひょろひょろな木になってしまう。

そこで間伐によって「間引き」を行うことで木々の間隔を適正に保ち、太陽光を林床まで取り入れ下草の生育を促す。

これによって林は健全に保たれる。

間伐する人に労働機会が生まれ、間伐材によって利益がもたらされる・・・

そのはずなんだけど、間伐材が輸入材におされて利益にならなかったり、林業の担い手が著しく減少したりと問題は多いのだ。

なので最近は中国などから輸入された割り箸ではなく、国産の割り箸を使おうという動きがでてきている。

これはすなわち間伐材を有効利用しようということだ。

でも、「やろう間伐!」って言われたって、普通の人が「よしっやろう!、手伝おう」とはならないでしょ。

森に分け入って、チェーンソーで木を伐るなんてのは並みならぬ訓練と経験を積まねばできぬこと。

そういう意味で、昨日ご紹介したような映画によって若い人たちが林業に関心をもってもらうことがまず初めの一歩なんだと思う。

国産の割り箸を使おう。

でも我が国の人工林(昭和30~40年頃に植林された人工の林)は1000万ヘクタールもある。

割り箸だけではとてもでないが追いつかない。

2015年3月18日水曜日

憧れの林業


今日はちょっと用事があって霞ヶ関の農林水産省へ。

省内にある林野庁の前を通ったらば、こんなポスターが。

昨年一度、花咲ブログでもご紹介した映画「Wood Job!」のポスターです。

林業に限らず、農業、漁業などのいわゆる一次産業に携わる人の減少は今にはじまったことではない。

でも我が国の7割は森林なんだよ。

その7割の森の面倒をみる人がもっといたって良いはずだし、そんな仕事がもっと脚光を浴びたって良いハズ。

そういう意味において、こういう映画が出来たことは喜ばしいことだと思う。

僕も自分の進路を考えるときに、こういう選択肢もあるんだよと誰かが示してくれればサラリーマンなんかにはならなかったのではないかと思う。

モーレツに林業に興味はある。

でも残念ながら自分の年齢を考えると遅きに失したと認めざるをえない。

身体を使う肉体労働ゆえ、今から始めるのはどうしたって現実的ではない。

生まれ変わったなら「木こり」になりたいと思わしめる佳作であります。

実はこの映画4月4日にwowowで放送されるのであります。

ちょっと楽しみだなぁ。

2015年3月17日火曜日

植生保全回復


代々木公園にて。

ある場所にはロープが張ってあって立入りできないようになっていた。

「植生保全回復」

人間や、自転車、車などが通るときに土を踏みしめる、いわゆる踏圧は植生の敵なのだ。

樹木も、草花も、根を張っている。

根を張ったところでは、呼吸し、水分、栄養分を吸い上げている。

呼吸は土と土の粒子の間の隙間にある空気に頼っているし、水分や栄養分も多くはこの僅かな隙間に存在している。

フカフカの土、という表現をよく聞くでしょ。

あれは土の間に適当な隙間があることを表しているのだ。

対して、カチカチ、ドロドロ、ニュルニュルなどの土は隙間がなく、水はけが悪い土の状態を指している。

とにかく根を張る土はとても大切。

落ち葉だって、わざと片付けない。

これも自然に朽ちていくなかで、微生物などの活動の場となる。

地中には球根類もあるだろう。
それを踏みつけたのでは、育つものも育たない。

こういう未踏の地(実際には未踏ではないけど)を意図的につくる意味は大きいと思う。

できればこんなに味気ない札だけではなく、どういう意図でこれを行っているのか、これをやることでこの先とうなるのか、なぜ立入ってはいけないのか、など案内板を作って来園者を啓蒙していくともっと良いと思うんだけど。

お声掛けいただければ喜んでお手伝いするのになぁ。

2015年3月16日月曜日

春うらら


かなり春めいてきましたね。

上着を着て感じる「暑さ」で分かる気がする。

真冬は上着をはおってもどこか寒さを感じるけど、ここ数日は上着をはおるとうっすらと汗ばむといった違い。

雨も降っているし、この暖かさに誘われて、植物たちの様子がいっきに変わるのではないかと思われる。

アジサイも芽吹いていたし、サクラのつぼみもかなり膨らんできている。

地面に目をやれば、雑草たちもタネから芽を出すもの、ロゼットの形で越冬して少しづつ茎を伸長させるものなど春本番に向けてぬかりがない。

それにしても見てみて、この雑草を。

たぶんタンポポだと思うけど、それほど土のない場所、アスファルトの上にうっすらとのっかった僅かな埃のような土に根を張っている。

改めて植物の生命力を感じてしまうね。

3月も半分が過ぎた。

本格的な春はもうすぐそこまでやってきている・・・。

2015年3月15日日曜日

特別な花


またこの季節がやってきました。

ジンチョウゲの季節。

毎度申し上げているように、僕はこの香りをかぐと胸がぎゅーっと締め付けられてしまうのです。

卒業、入学、入社などなど、人生の節目節目にこの香りがあったからかもしれません。

さらに4年前の大地震のときも、世の中が大混乱するなかでも淡々と咲き、いつものように香りを放っていたことも、この香りに「特別な意味」を与えたような気がします。

確定申告もどうにか終え気持ちも落ち着き、次にはさらに大きな仕事が待っています。

今はその準備で頭がいっぱいです。

楽しいご報告がこのブログを通じて出来るのではないかと思っております。

2015年3月14日土曜日

フキノトウ


とあるお宅に庭木の相談ということで伺った。

庭木っていったって樹高20メートル超の大木が鬱蒼と繁ってちょっとした森を形成している。

スゴイ。

ケヤキなどの落葉樹はスッカリ葉を落として、あたりは落ち葉の絨毯になっている。

そんな絨毯の合間からポツポツと黄緑色の何かが見えた。

おおっ、フキノトウではないか。

考えても見ればとても贅沢ではないか。

だって自宅の庭をそぞろ歩いているだけで、フキノトウが採れるんだから。

天ぷらにしたら美味しいのかな。

フキノトウ以外にも、恩恵が沢山ありそうな、そんな素敵なお庭でありました。

はた目には素敵なお庭なんだけど、所有者の方はこれだけのサイズの木々を管理するとなるとかなり大変そう。

持てる者、持たざる者、それぞれ悩みはあるものであります。




2015年3月13日金曜日

春の役者たち


今日は日中とても暖かだった。

植木屋仕事で外にいたけど、昼食のお弁当を食べているときはまさに至福のときでありました。

暑からず、寒からず。

ポカポカした日差しがなんとも気持ちよかった。

季節よここで止まっていてくれ、と思わずにいられなかった。

ブロワーでブンブンと吹き飛ばす仕事が多かったので、目の中にゴミが沢山入っているカンジがまだする。

花粉症によるアレルギー性結膜炎でもあるような気もするけど。

それはそうと、ブロワーで吹きつつも、足元をよくよく見ていたらば、オオイヌノフグリ、ハコベ、トキワハゼ、カラスノエンドウ、タネツケバナなんかが咲いていて、「もう紛うかたなき春なんだなぁ」と感じ入ってしまった。

来週はさらに暖かくなるんだそうだ。

気持ちも春に向けて切り替えていきたいものであります。




2015年3月12日木曜日


木登りに熱を上げるようになって2年くらいだろうか。

まだその熱は冷めることはない。

さらに新たな道具、新たな技術を貪欲に求めている自分がいる。

普段木に登れないストレスはあるけども、それでもテレビを見ながらロープを結わえたり解いたりしている。

これだけ熱を持ち続けられることに出会えたということはシアワセなことではないかと思う。

釣りでも、囲碁でも、ゴルフでも、なんでも良いんだけど、いわゆる趣味として自分の脳の大部分を支配するものと出会えることが出来ない人も沢山いると思う。

自分の場合は、単に趣味だけではなく、それを仕事に結び付けられるあたりがまた有難い。

加えて樹木医の資格も取れたことだし、今年はこれらを使って新たなステージに飛躍したいと思っているんだけど。

早くも一年の4分の1が過ぎてしまった。

マズイ・・・・


2015年3月11日水曜日

3月11日晴れ


今日はここしばらく胸のつっかえであった確定申告を無事に提出してホッとしております。

今日は3月11日。

思えば4年前も3月11日に確定申告を提出しようとして国税局に向かっている途中にあの地震が起きたんでありました。

改めて時の経つのは早いよね。

そなえよつねに。

何時も有事にそなえておきたいと思います。

さて確定申告を提出して、ウキウキしながら家に向かっていたときに、とある商業ビルの花壇に目が留まった。



実際に見たときは、花の株と株の間隔が開きすぎているなぁとか、色がバラバラだなぁとか、なんとなく批判めいた見方をしていたのだけど、こうやって写真を通してみるとかなり良い雰囲気に写っているので意外だった。

写真写りの良い庭、そうでない庭ってあるんだと思う。

実際に庭に行ってその美しさに感動したものの、家に帰って写真を見てみるとそれほどでもなかったり。

今日の場合はその逆で、写真写りが妙によかった。

ちょっとイギリスのボーダーを想起させるようなカンジに撮れていた。

こうやって見ると、春本番を前にすでに色んな花が咲いているもんだねぇ。



2015年3月10日火曜日

悲しき、すみれ荘


人が住んでいない住居、いわゆる空き家の問題が取り沙汰されて久しい。

土地の有効活用の観点からはもちろんのこと、地震の問題、治安の問題、美観の問題などなど様々な問題をはらんでいる。

都会でもときどき見かけるようになったハクビシンの住処になっているのは、もっぱら空き家であるという話も聞いたことがある。

制度面でもこの空き家の対策が進められているようだけど、それでも結構いろんなところで見かけるものだ。

この前見かけたのは、外壁は剥がれ落ち、家屋は微妙に傾き、まさに「廃墟」といったカンジの、その名も「すみれ荘」。





とっても昭和なカンジにグッとひかれた。

だいたい最近は「ナントカ荘」という名前も見かけなくなったからね。

僕が小学生のころは「マカロニほうれん荘」が大流行だった。

それはそれとして、こういった空き家につきものなのは植物たち。

古い家屋だけあって、樹木も年齢を重ねた立派なものが多い。

このすみれ荘にも道路にはみ出んばかりのスダジイがこんもりと繁っていた。

このスダジイは家屋の壁が剥がれ落ちて倒れそうなのを抑え込んでいるようにも見えた。


更地になる日も近いと思うが、その時にこのスダジイも切り倒されるのだろうか。

そういうときにチェーンソーを持って伐るのは樹木のことなんてちっとも興味のない解体屋さんだったりするので、樹木に敬意を払うことなんてない。

単にモノとみなして機械的にバッサバッサと切り倒すのだ。

なんか切ないよなぁ。

2015年3月9日月曜日

惹句は踊る


積み上げられた段ボール箱。

そこに書いてある文字を見逃さなかった。

ピンピン育つ 観葉植物の土
光合成を助けるマグネシウム配合

巷では、観葉植物用、野菜用、ハーブ用などなど、「××用」と称した土をたくさん見かけるようになった。

それなりに成分をアレンジして、育てる植物の特性に合せているのだろう。

ただあまりに種類が多くて迷うし、野菜用の土で花を育てて果たして問題があるのだろか。

恐らく問題はまったくない。

こういう商品の多様性が楽しいところであり、あふれるモノのなかから自分の目的に一番あったものを選ぶ目を養うことの方が大切な気がする。

そして、野菜を育てるのだから「野菜用」の土を条件反射的に買うのではなく、何でそれなのかという思考を伴う買い物をすると良いんだろうなぁ。

2015年3月8日日曜日

いかないで、冬


昨日、今日と講演の仕事やらその他もろもろ予定がギッシリでブログに手が回らなかった。

申し訳ない。

さて連日冷たい雨が降っているが、啓蟄も過ぎ、本格的な春がそこまでやってきている。

河津サクラ狂想曲はテレビでも話題だったし、ジンチョウゲの香りも漂いだした。

良い季節・・・・なんだけど、僕としてはもうちょっと冬を楽しみたかったという気持ちがある。

落葉樹に囲まれた人気のない静かな山を歩きたかったし、木登りももっと楽しみたかった。

もちろんそれは春でも夏でもできるんだけど、落葉樹は葉を繁らせ、人が多く賑やかになり、木には虫たちも出現するようになる。

無害な虫なら良いけど、案外有毒なやつらも多いのでこれからの木登りには注意が必要だ。

地上数十メートルでスズメバチなんかに出くわしたら、かなりマズい。

なんかこうピリッとした冷たい空気感も好きなんだよなぁ。

春がやってくることになんら異存はないけど、冬が去り行く一抹の寂しさもあるのだ。

2015年3月6日金曜日

高木剪定いろいろ


こんな狭いところにこんなに大きな木が?

そう驚くことってないだろうか。

街歩きを趣味としている僕としてはそんな場面ばかりである。

何年にも前に植えられたケヤキなどが大きく育って、それが区の保存樹木になっているケースもある。

大木に似つかわしくない小さな家の場合もあれば、昔ながらの蔵があるような邸宅の場合もある。

電線を避けるために剪定されている場合もあるけど、たいていは良い樹形をしている。

ところが先日、「良い枝振りのケヤキの大木だなぁ」とかねてから思っていたケヤキがバッサリやられていたのでビックリした。

ありがちな、太枝をブツブツに伐るやりかた。



あ~あ、とため息がもれた。

もったいない。

お施主さんの希望なのか、植木屋さんの腕なのか。

もうちょっとやりようがなかったかな、と思う。

別の場所でもやはりかなり大きなケヤキに剪定が施されていた。

全体の樹形、枝振りを生かしながら、なんというか「透かす」やり方。


これはウマイと思った。

上のブツブツのケヤキと違うのが分かるでしょ。

なんか嬉しくなった僕は、たまたままだ現場にいた植木屋さんのおじさん(60歳半ばくらい)に話しかけたのだけど、このおじさんがビックリするくらい無愛想で取り付く島もなかった。

こういう高木剪定の苦労やテクニック、さらには剪定哲学みたいなこともできれば聞きたかったのに。

まぁ昔ながらの職人さんはペラペラお喋りしないものなんだろうな。

ちょっと残念。