2014年9月18日木曜日

センチメンタルジャーニー


今日は植木屋仕事で世田谷区に出かけていた。

もちろん移動は自転車で。

すっかり秋めいてきて、ペダルを踏むには良い季節になってきた。

仕事を終えてまだ明るかったので、ゆっくりと寄り道をしながら帰ることにした。

246から三軒茶屋を折れて、池尻方面へと向かう。

小学生のころに良く通った釣堀がレストランになっていたり、小学生のころには大盛況だった商店街が寂しくなっていたり、小学生のころに友達が住んでいた「団地」がとてつもなく立派なマンションになっていたり・・・。

僕が小学生だったころって何年前なんだって話。
そりゃ世の中変わるよね。

慣れ親しんだ下北沢がすっかり変わってしまって、自分の居場所がなくなったという寂しさに追い討ちを掛ける感じで、もうなんら自分の育った場所に未練が無くなってしまったなぁと寂しくペダルを踏んだ。

そうそう、自分が通った小学校はどうなっているだろうか。

通学路沿いの友人の家はどうなっているだろうか。

そう思ってかつて通った小学校方面に向かってみた。

着いてビックリ。

ナント、通っていた小学校は更地になっていた。

どうやら立て替えるらしく、フェンスに囲まれた敷地はだだっ広い空き地になっていて、仮設校舎が隅っこに建っていた。

これが未練ナッシング(未練nothing)の決定打となったのは間違いない。

自分が通っていた学校ももう原型を留めていない。

くだらないセンチメンタリズムで頭がいっぱいになってしまった。

今日の写真はまだありし日の母校。

撮影したのは2009年なのでもう5年前か。

この2本の立派なヒマラヤスギも跡形もなくなっていた・・・・。


1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

三軒茶屋・三宿はだいぶ変わったね。
国立小児病院も住友の億ションのマンションが立ち、都営住宅の団地群は跡形も無く、建替えられて、昔の産物は全て無くなり新しくなるってことでしょうね。

我々が小学校の頃って、昭和51,2年。 37、8年前っすよ。 この間、行きつけの飲み屋で、昭和57,8年生まれの男と飲んだが、もう一度、せめて昭和57年くらいに戻りって人生もう一度やり直してーーーなと話したばかり。  時間が経つのははやいね。 それで、担任の小泉先生は、亡くなられたようです。(ご冥福をお祈りします)