そんなわけで、ネットの繋がらないままの屋久島。
今朝は3時にモーニングコールをしてもらい、皆でゴソゴソ起きて出発の準備を始めた。
今回屋久島では4人で1部屋という構成になっており、英国人2名がベッド、米国人と僕がフトンとなった。
次回このようなことがあれば、彼らの
「タタミマットレスの上にフトンで寝たい」
という言葉は一切信用しないようにしようと思う。
さて、ガイドさんが3:30にホテルで迎えに来てくれて出発となった。
外はまだ真っ暗。
車を走らせること1時間ちょっとでようやく荒川登山口という場所につく。
雪は降っていないもののエラく寒い。
今日の予報は晴れ。
ただ、放射冷却もあって気温がグッと低いのだろう。
最近、登山での事故のニュースもあったので、自分としてはかなり慎重に装備をしたつもりだった。
暗闇の中をヘッドライトをつけて隊列を組んで歩き出す。
因みにヘッドライトをつけているのはガイドさんと僕の2名のみ。
残りの外人3名は、小さなマグライトを手に歩いている。
事前に「今回の屋久島の装備としてヘッドライトが要るよ、寒さ対策、雨対策もね!」と言ってあったのに、カバンから出てきたのは小さなマグライトだった。
昨晩、部屋で皆で装備について確認したときにそんなことが判明して、しかもそれぞれバッテリーが残り僅からしく弱々しい光を放っている。
聞くと予備のバッテリーも持っていないという。
バッテリーを買うといったってここは屋久島。
24時間のコンビニなんかない。
フロントで聞くと、歩いて5~10分のところにスーパーがあるので、そこで手に入るだろう、と。
彼らに説明してものらりくらりで動きが悪いし、結局僕が3人分の予備電池とペットボトルの水4人分を暗闇の中買いにいくことになった。
なんだよー、自分のことは自分でやれよー、とつぶやきながら歩いた。
でもペットボトルの1本は自分のだからしょうがないか、と言い聞かせる。
そんなわけでの屋久島登山の暗闇行。
彼らのマグライトの性能が悪いのか、それも間もなく途中で切れてしまった。
見かねたガイドさんが予備のヘッドライトを一人に貸して、一人は弱々しいマグライト、そして一人は無灯火で歩いた。
最後方から僕のヘッドライトのパワーを最高にして隊列全体を照らすようにしてなんとか暗闇を進んだ。
歩いても気温が低いためか、なかなか身体が暖まらない。
というか、寒い。
休憩したときに、ダウンに着替えた。
すると3人からは、「それはダウンか?オマエはなんて準備が良いんだ」という声があがった。
イヤ、アナタたちの準備が悪いんだと思います。
ボスだって、僕にさんざん言われてやっとニット帽を京都で買ったのだ。
手袋も何度も言ったのに結局買わずに、ズボンのポケットに手を突っ込んで歩いている。
彼が無灯火なのは素手でマグライトを持って歩いているのが寒さで辛くなったからだと思う。
あげくに僕のダウンを見て
「それユニクロでしょ」
なーんて野次を飛ばしてきた。
「違いますっ!」
日本滞在も2週間近くなって奴らも色んな知恵を付けてきている。
我々が登山口から歩き始めたのは5時ちょっと前。
朝一番のバスが着くよりも前なので、僕らが一番乗りのはずだ。
普通に歩けば、ウィルソン株まで3時間半、縄文杉までさらに1時間半、計5時間もあればたどりつけるはずなのだが、さすがに樹木のエキスパートたち。
暗闇でも目を凝らして、イチイチ反応して立ち止まる。
特に夜が明けてからは、視界が効くようになったこともあって立ち止まる頻度も多くなり、その時間も増えていった。
ガイドさんが説明してくれる紅葉のキレイな季節の樹木なんて一切興味を示さず、彼ら独自の基準に沿って珍しい樹木で立ち止まっていた。
彼らが特に食いついていたのは、ヒメシャラとナナカマド。
ヒメシャラは庭木としても良く使われるが、幹の太さも手首くらいかそれよりもちょっと大きいかくらいだが、屋久島のヒメシャラは幹回
りが1メートルを超える立派なものが多い。
うわーっと興奮し、写真を撮る。
その大きさの対比のためにと自分がヒメシャラの横に立ったりして記念写真を何度も撮っていた。
こんなペースで行ったもんだから、普通のペースで行けば5時間くらいで縄文杉にたどり着けるものが、6時間半を超えてしまった。
途中でお弁その1(朝食)とお弁当その2(昼食)をとったが、こんなに冷たいおにぎりは初めてというくらい冷えていたが美味しかったなぁ。
そして最大の目的であるウィルソン株。
ウィルソンが屋久島を訪れたときに、雨に降られてこの切り株の中の洞で雨宿りをしたのが名の由来であるという。
ウィルソンという人物を知らなくても、屋久島のウィルソン株は知っているという人が多いと思う。
ここでいつものように100年前の写真を取り出して慎重に構図を探る。
周りには休憩したり、記念写真を撮る人が多くて、写真にそういう人が写らないようにすることはほぼ不可能である。
その辺を考慮して、ガイドさんは朝一番の出発をしてくれたのに、いろいろと立ち止まっているいるうちに何組も抜かれてしまってこの始末であります。
今回の旅の最終コーナーを回ったあたり、すなわち鹿児島からハーバード大学のオジサン(67歳)が加わったのは申し上げた通りだが、彼の合流によってチームの雰囲気が一変した。
会った初日はフツーのオジサンだと思っていたのだが、実は全然フツーではなかった。
ハーバードの先生ともなるとやはり凡人では務まらないのだろう。
スゴイ変人であったのであります。
とにかく四六時中大声でしゃべり続けている。
こちらが忙しかろうが関係なく、自分の興味中心で一方的に喋り捲る。
ホテルの朝食にも分厚い論文を持ち歩いて、チラチラ読んでいたりする。
風呂上がりで着替えた下着を部屋に放り投げておく。
うまく表現できないが、とにかく自分の興味分野には滅法強いが、全体のバランスを著しく欠いた天才肌といえば良いだろうか。
当初からの英国人2名もかなりのものと思っていたが、ハーバードのオジサンに比べればごくごく真っ当なカンジがする。
このオジサンがとにかく隊列を乱しまくるのだ。
気が付くといない。
振り向くとどこかへ消えているのだ。
どうしているのかと思うと夢中で木の写真を撮ったり、葉っぱをじーっと観察したり、立ち入り禁止の場所にも入りこんでいたりする。
日本語の看板が読めないことは割り引いても、頭の中が自分の興味で一杯一杯になって周りは一切見えなくなるのだろう。
最初の内は皆彼が隊列に戻るのを待っていたが、しまいには彼は勝手についてくるだろうということで気にしないで前進することにした。
それもチーム全体の歩行スピードが遅くなった一因であることは間違いない。
詳しくはまた書く機会があると思うので、そのときに。
このペースでいくとガイドさんが想定していた時刻よりも荒川登山口に帰着するのが遅くなることが容易に想像できたので、ガイドさんがタクシーの迎えの時間を遅めに変更してくれた。
概ねすべての目的を果たして下山し、タクシーに乗って宿に戻ったのは18:30頃だったろうか。
ホテルの大浴場で暖まって、夕食をとったあとは誰ともなく皆横になって眠り込んだ。
というわけでの、初の屋久島体験。
これまでずっと一度は屋久島に行きたいと思っていたので、夢が叶ったことについては素直に嬉しい。
しかし、せっかくの機会を、特にそのハーバードのオジサンのためにヤキモキしながら時間を過ごしたことはなんとも悔やまれた。
今度はゆっくり改めて来るぞ、と誓った次第。
2 件のコメント:
屋久島で大変な思いをしているのにそのブログを読んで横浜でにんまり笑っているのは申し訳ないような… ほんとはもっと笑いたいけど我慢してるんです。屋久島も寒いんですね。はじめて知りました。園芸英語で直接今回の話が聞けるんでしょうか?そうなら早速申し込むのですが。東京に無事帰ってこられることを横浜からお祈りしております。
totoさん
コメント有難うございます。
旅は困難が多いほど、あとになって思い出に残るものと思います。
たしかに大変ですが、結構楽しんでいるのでご心配なく。
園芸英語にも是非おいでください。
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