神やどる樹
唐突ではあるが、木を切り倒さねばならないときにハイハイと事務的にこなす人もいるだろうが、そうでない人もいる。
そうでない人とは?
それは木には神が宿っているので、人間の都合で切り倒さねばならないという場合は然るべき段取りをおってから切るというもの。
然るべき段取りとは?
これまでの愛着、感謝を込め、且つ切り倒すことの許しを請う段取りである。
木はそれなりの年月を経るとそこに神が宿るという発想が日本人にはある。
御神木といって、各地で由緒ある風格のある大木が御神木として崇め奉られているのはその表れであると思う。
この写真は樹齢500年、高さ20メートル、根元周囲4.5メートルの堂々とした椎の御神木だ。
なので、大木を切るときには深く礼をし、塩とお酒で清めてから取り掛かる。
以前 「空師」 といって高木剪定専門の植木屋の手伝いをしたことがあるのだけど、とあるお宅にあったかなり大きなケヤキを切ることがあった。
その家の人は近所から神主さん をよんできて御払い をしてから、作業に取り掛かった。
神主さんを呼ぶのはかなり特殊なケースというか、かなり信心深い人に限られるが、塩と酒で清めるというのはよくあることだ。
そういえばかれこれ10年ほど前、植木屋の親方がチェーンソーを持ってまずまず大きな木を木製のハシゴにのって切っていた。
ひとつの大きな枝を払ったらば、その枝が親方がのっていたハシゴを直撃してそのハシゴはまっぷたつに折れた。
ハシゴにのっていた親方は地上およそ3メートルから落下した。
幸い大きな怪我もせずに済んだのだが、今でもそのシーンがスローモーションで鮮明に思い出される。
今思うに、あの時は木を切るときにお清めをせずに切ったのではないかなぁなどと記憶を辿るのだが、その辺はイマイチはっきり覚えていない。
木霊 という言葉もあるし、説明のつかない尊さというものはたしかに存在する。
4 件のコメント:
よく木を切ると怪我をする、とかたたりにあう、という話を聞きます。
きっと、昔の日本人の自然に対する畏敬の念がこめられているのだと思っています。
非科学的だけど、こういう「思い」は大切にしたほうがいいなあ、と感じました。
日本人は無宗教だとよく言いますが宗教心がないわけではなくこういう自然崇拝が昔からの文化だったのでいわゆる形のある神様というのはないので無宗教と位置づけられているような気もしますが、、、やはり宗教心が無いと何がいいことなのか悪いことなのかとか大切なことは何かとかが見えにくくなるのかもしれませんね。自然に宿る神様という考えは私はとっても好きです。こういう木をなるべくなら切り倒さないでほしいものですね。。。。
山や木や河・・・いわゆる自然に神様がいるという素朴な信仰は、私たちの世代でもあんがい精神の根っこにあるような気がします。日本の昔話の絵本などにもそういう題材が多いから、しぜんとそういう感覚を受け入れているではないかな、と。
私はそういう、人間が敵わないものが存在するんだということを素朴に信じる気持は、なくならないでほしいなと思います。たとえお神酒がワンカップでも、いいじゃないかと(笑)
そうなんですよね、ワンカップ。
実は僕もちょっと気になったのですが、でもそれは気持ちではないか、と。
本来は一升瓶入りの日本酒かなとも思うのですがそれぞれ色んな事情があるようです。
でも一番大切なのは、これまでの感謝を表現するということではないでしょうか。
モノを粗末にしない気持ちと言いますか・・・。
このお蔭か、本件に関しては事故、怪我もなく無事作業を遂行できました。
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