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2009年11月22日日曜日

街路樹を考える その3
    

   
一昨日 moon さんからコメントを頂戴した。
    
去年の今頃、地方の駅裏にタクシーで乗りつけたときに「イチョウが変に落葉しているなぁ」と思ったら運転手いわく、住民からの「葉が落ちる前に枝を切ってくれ」と言われたとのこと。寒々しい気持ちになりました。運転手さんも植物好きらしく「見てみい、お客さん。かわいそうやろ、まだ見ごろやというのに・・・のやりとりを思い出しました。
    
このコメントは当「街路樹を考える」シリーズを思いついたときに触れようと思っていたことだった。
   
花咲ジジイは自称パートタイム植木屋ということで、ときどき植木屋仕事をすることがある。
昨年は都内の街路樹剪定を精力的に行っていろいろ考えさせられた。
2008年8月1日の花咲ブログではそのときの様子をリアルに書いてある。
   
まぁそういった街路樹の剪定をしていて 「何でこの木を剪定するのか」 考えたり、親方に聞いたりしたことがあった。
①毎年やっていることだから
②毛虫が出たと苦情が出たから
③落ち葉が散らかると苦情が出たから
④マンションの自分の部屋に日が射さなくなると苦情が出たから
⑤信号・標識が見えないから
⑥枝が通行の支障になるから
などなどが主なところである。
    
①は区なり、都(県)なり、国なりに予算があってその範囲で作業が組まれる。
面白いのはこの行政単位ごとに作業が組まれることで 「この通りは区、あそこから先は国」とかいって作業分担、作業責任が違うのだ。ある通りの街路樹はキレイに剪定されているのに、角を曲がったとたんに様子が違うという経験がおありの方は、そういったことが原因になっている。
    
②一般の方々は毛虫に過剰に反応する。それは分かる。さらに区役所などに苦情を寄せる人がいる。そうなると、区も結構真面目なので、その問題の街路樹の毛虫のついた枝を取り除くなどの対応をする。区が対応するといっても、それを植木屋さんに依頼するだけのことだ。サクラについたアメリカシロヒトリを取り除いたときなど、ウニュウニュとおびただしい数の毛虫と格闘したのは良い経験だった(花咲ブログ2008年6月20日)。
   
③はあとで書こう。
    
④これは何とも個人的な理由で、この程度で行政が動くのか、といえば動くときもあるようなのだ。確かに度を越して鬱蒼としている街路樹もあるからね。
   
⑤⑥は公共の安全を考えれば十分ありえる話だ。
    
こうやって考えると、まず街路樹としてそこに植えることが適切なのか という点をよく考えれば避けられる問題が多いことに気付く。
道路幅の狭いところにケヤキやプラタナスなどの大きな木を植えれば、④⑤⑥のような問題は出るだろう。
    
でももっと困るのは③だと思う。
落葉樹である限りは、秋になれば紅葉もしくは黄葉し、落葉するのはこれ自然の摂理ってものだろう。
それを 掃除が面倒くさい という理由で どうにかしてくれ って言われても言われたほうも困るじゃないか。
それはどうにもなりませんなぁ と言っておけば良いものを 分かりました切っちゃいましょう なんて引き受けちゃうからややこしいことになる。
   
人間のわがまま優先なのだ。
     
以前、品種改良によって人間にとってより都合の良い植物が増えてきているなんてことを書いた気がするが、こうなると葉っぱの落ちないケヤキだとか、臭くないギンナンのなるイチョウなんてものがそのうち出てくると思われる。
     
実際、この前さる勉強会のようなところで イチョウの葉張り(木が枝を張る幅)が2メートル程度という品種が近々発表になるらしい なんて話を聞いた。
もし、そういう細いイチョウができれば街路樹として植えても、落ちる葉っぱは少ないだろうし、剪定の手間もかなり省けるであろうという人間側のメリットがある。
    
でも微妙な問題だよね。
そうかぁイチョウってこんななのね、と思った都会の子供が本当のイチョウを見てイチョウに見えなくなったりして。
   
話が逸れてしまった。
    
落ち葉が嫌だから枝を切るのではなくて、落ち葉を掃きながら ああ、秋ねぇ と思えないものだろうか。
落ち葉が嫌でも、昨日書いたように木があることによって我々は多くのメリットを享受しているのだ。
アナタの吸っている酸素は誰が作ってくれたものですか?
その辺をスッカリ忘れちゃっているんじゃぁないのか。
    
我々のために頑張ってくれた木に感謝して落ち葉を掃いたり、さらにオマケとしてギンナンを拾ったり、落ち葉で焼き芋を焼いたり、焚き火をしたりといったシンプルな愉しみを忘れちゃったのかもしれない。
   
ずいぶん熱弁をふるっちゃったが、今日の写真について。
これは昨日撮った街路樹のイチョウだ。
     
昨年は黄金色に輝いて、ギンナンを拾っている人が沢山いた。
春にこのあたりのイチョウが次々と丸坊主になっていたのに、何故かこの3本だけは剪定されずに残っていた。
   
ちょっと不思議に思っていたら、これから黄葉ってときにご覧のようにバッサリとやられてしまっていた。
もう黄葉を楽しむことも、ギンナン拾いも出来ない。
  
   

2 件のコメント:

  1. 花咲さん、こんにちは。

    ファーブル博物記(全6冊)の中で「植物のはなし」を読んでいるところです。
    もう面白くて他の本をそっちのけで少しずつ味わっていますが
    ホントに植物がなければ生きてゆけないのですよね、
    人間と言うか酸素を必要とする生き物すべて。

    植物の細胞こそ汚れた空気をきれいにしてくれ二酸化炭素を食べて私たちを死の危険から
    守ってくれるのは気孔を持つ葉、日光の作用を受けて緑色の細胞はあっという間に
    有害な二酸化炭素を炭素と酸素に分解してくれているというのに。
    夏場のスイレンの葉一枚でなんと300リットルもの酸素を排出するそうです。
    夜間は植物も二酸化炭素を出しますが、昼間の活動に比べてウンと少ない。

    秋になり緑色の葉ではなくなり用済みなのでバッサリ切っていいものでしょうか。
    確かに大きな葉が毎日自宅の周辺に落ちてくるとウンザリするのもわかる気がします。
    街路樹に何を植えるか、予算や関係者の思惑などもからんで難しいけれど
    これからはバッサリ切らなくて済む品種のものを植えることも大切になるでしょうね。
    「季節の移り変わりを楽しむ心」がなくなりつつあるのが寂しいです。

    上記の本の訳者のお一人「日高敏隆」さんが今月14日に亡くなられたと
    新聞で知りとても悲しいです。氏の本は何冊も読みました。動物行動学、生き物、自然、
    平易な文章で楽しく深く教えていただいた気がします。

    「花咲ジジイ」さんのブログ、とても内容が濃いのにランキングがあまり上がりませんが
    以前からタイトルの「ジジイ」がちょっと、、、なのかな?と思っています。(笑)
    世界中の園芸家の憧れである某ガーデンのディプロマを持ってらっしゃるのに
    前面に出さないで奥ゆかしいところもステキです。
    長々と余計なことまで書いてしまってすみません。

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  2. 花咲ジジイ11/26/2009 7:47 午前

    moonさん

    有難うございます。

    ファーブルですか。良いですね。今度僕も読んでみようと思います。
    最近はちょっと事情があって、じっくり本を読む時間がありません。
    2010年はもうちょっと本を読みたいものだと思います。良い本があったらまた教えてくださいね。

    ブログランキングの件ですが、確かに順位は上がりませんねぇ。
    順位そのものよりも、上位にいたほうが不特定多数の方に読んでいただけるのではないかと思ってランキングに参加しています。
    ただ 「投票してねっ!!」 とブログ中に何度も出てくるとちょっと興醒めかなという気がして欄外左にひっそりと投票ボタンをおいてあります。
    大切なのはmoonさんのように「面白い」と思って花咲ブログを読んでいただける方がいるということです。

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